IGS通信

セミナー “Bodies, Collective Action and Democracy”

IGSセミナー(特別招聘教授プロジェクト)
Bodies, Collective Action and Democracy: Engaging with Judith Butler’s Work
(主体、社会運動、民主主義:ジュディス・バトラーによる理論構築の検討)

2018年12月13日、デルフィーヌ・ガルディ特別招聘教授によるIGSセミナー「Bodies, Collective Action and Democracy: Engaging with Judith Butler’s Work(主体、社会運動、民主主義:ジュディス・バトラーによる理論構築の検討)」が開催された。主題となったのは、ガルディ氏共編著の『Politics of Coalition: Thinking Collective Action with Judith Butler』(2016年)。本書は、米国の哲学者ジュディス・バトラーが2000年代以降に発展させてきた「協調体制(coalition)」の構築に関する論考を、ヨーロッパのコンテクストに照らして検討するものである。セミナーでは、講師による解説および充実した討論により、理論についての知識が深められた。

2000年代以降のバトラーの理論の焦点は、アイデンティティ政治にかわる、社会運動の基軸の選択肢の理論化にある。この論考は、『ジェンダー・トラブル』(1990年)に代表されるジェンダーとセクシュアリティ、クイアに関する考察における、「パフォーマティヴィティ」の議論の伸展であるといえる。パフォーマティヴィティは、アイデンティティと主体と権力の入り組んだ関係性の分析に有効な概念である。例えば、アイデンティティの一要素であるジェンダーについて、女性「である」身体を生物学的な性に基づくとする規定は、必ずしも社会構成員全員が納得するものではない点を批判的に考察し、女性「になる」ことについての理解を深化させた。本質論的アイデンティティの理解に一石を投じる考察は、次に、「協調体制」のあり方というテーマに発展する。

アイデンティティ政治は、ジェンダー、人種、性的指向、といった特定のアイデンティティに基づく集団形成による政治活動である。それぞれの集団の特性により社会的不公正を受ける人々へのエンパワメントとなる動きであったが、同時に、その集団形成は、排他性と集団間の競争を伴う。そのため、アイデンティティに代わる概念による大きな連帯の形成が必要と考えられてきた。そこでバトラーが提示したのは、社会的弱者を包括することができる、「プレカリティ(生のあやうさ)」という概念である。

「プレカリティ」による連帯とは、社会を構成する個々人が「安定した生存の権利を求める」ことで協調する体制である。性別や人種、性的指向といった「誰であること」に依拠せず、個人の「身体」の参加により構成される。デモなどの社会運動では、「その場に参加している」ことに大きな意義が生まれる。「その場」とは、民主主義の政治活動の場である。政治の場は、弱者が排除されてきた「公的領域」である。アイデンティティから身体に焦点を変えることで、排除ではなく包摂を基本とする政治空間、コミュニティ形成が可能になるのだ。また、この包摂を基本とする社会で個人個人がどのような振る舞いをするかについて、ガルディ氏はジャック・デリダの「歓待(ホスピタリティ)」の議論など、ヨーロッパの論者による考察を紹介した。

講義に続く討論では、様々な角度からバトラーの理論が検討された。バトラーの理論の日本社会への適用可能性についての質問に対して、ガルディ氏は、例えば、「パフォーマンスとしてのジェンダー」といった概念は、どのような文化においても、分析軸として使用可能と考えられると述べた。しかし、バトラーの論考そのものは、完全にアメリカ社会の状況に基づいてなされているとのことである。そうした文化的背景が思想には含まれているということだ。理論の普遍性という点については、バトラーは哲学という分野の出身であることへの留意が示唆された。哲学的考察においては、「一般論」の存在が常に前提とされ、多様な現象から共通点を見出すことでそれが導き出される。よって、「普遍的」と受け止めるのではなく、そのような考察の手法を理解して読み込んでいく必要がある。合わせて、フランスの学術界の文化についての説明もなされた。歴史学や哲学、社会学といった学問領域区分の伝統が根強く残るフランスの学会では、カルチュラル・スタディーズやジェンダー研究はほとんど評価されないとのことである。

学問的知識の普遍性を考えるに当たり、学問領域の特徴や学術界文化の地域性に話がおよぶのは、まさに、歴史学、人類学、社会学などを横断する形で、学際的にジェンダー研究に取り組むガルディ氏ならではのことであろう。セミナー内では、ガルディ氏が所属するジュネーブ大学ジェンダー研究センターについての紹介もなされた。IGSと同様に、学際的かつ国際的にジェンダー研究に取り組む機関であり、今後の機関同士の交流関係の構築が期待される。

記録担当:吉原公美(IGS特任リサーチフェロー)

 

《開催詳細》

【日時】2018年12月13日(木)15:00~17:00
【会場】本館135室(カンファレンスルーム)
【報告者】デルフィーヌ・ガルディ(IGS特別招聘教授/ジュネーブ大学教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】英語
【参加者数】30名