IGS通信

セミナー「Legal Gender Recognition & Messy Trans Experiences in Norway」

IGSセミナー(INTPARTプロジェクト)
Legal Gender Recognition & Messy Trans Experiences in Norway
(ノルウェーの性別自己決定権法制とトランスジェンダー経験の複雑性)

2019年10月24日(木)、ノルウェー科学技術大学(NTNU)の博士課程院生フランス・ローズ・ハートライン氏を講師に迎えてのIGSセミナー「Legal Gender Recognition & Messy Trans Experiences in Norway(ノルウェーの性別自己決定権法制とトランスジェンダー経験の複雑性)」が開催された。2016年の法改正により、ノルウェーでは、法的な性別変更を外科的手術なしにできるようになった。画期的な法改正ではあるが、これによりトランスジェンダーの性自認についての課題がすべて解決されたわけではない。本セミナーでは、この点を読み解きながら、トランスジェンダー、そしてジェンダーをめぐる社会課題についての理解が深められた。

セミナー冒頭では、トランスジェンダーについての基本的な解説がなされた。一般に、トランスジェンダーは、身体の性と心の性が一致しない状態と理解されている。このため、身体の性を変えることで問題は解決されるというアプローチが取られてきた。この理解は、男女の性別ははっきり二つに分かれているという二項図式に基づいている。しかし、トランスジェンダーの実情はより複雑である。

トランスジェンダーを考えるにあたり、男女の別は二分ではなくスペクトルと捉える必要があるという。そして、「身体の性」、「心の性」に、「好きになる性」、「表現する性」を加えた、4つのスペクトルの組み合わせが、個人個人のセクシュアリティであるといえる。自分の性が、男女を両端に置いたスペクトル上のどのあたりにあるかの認識には、個人差があり、一定しているとは限らない。経験により時間をかけて変化することもあれば、その場の状況によってふるまい方を変えるといった短期的な変化もある。また、ノンバイナリーやXジェンダーと言い表される、どちらの性別にも分けられない人たちもいる。そして、トランスジェンダーを自認する人全員が、自分の体を嫌だと思い、変えたいと思っているわけではないという。トランスジェンダーは多様であり、複雑なのだ。ハートライン氏は、本セミナーのタイトルにある「messy」という語が、こうしたトランスジェンダーの経験の複雑性を言い表すのに適していると考えているそうだ。

トランスジェンダーについての理解が進むにつれ、それが各国における法律上の性別認定制度に反映されるようになってきている。ハートライン氏は、「不妊化モデル」「診断モデル」「自己決定モデル」という類型を挙げて、その変化を説明した。「不妊化モデル」とは、当初主流であった、不可逆的な外科的手術を要件とする制度である。戸籍上の性別の変更要件に、生殖腺機能の欠如や性器形態の形成などを含む日本の法律はこれにあたる。時間もかかり健康リスクの高い処置を受ける必要がある。「診断モデル」は、性同一性障害や性転換願望の診断を要件とする制度であり、近年導入が進んでいる。そして最も先進的な制度が、「自己決定モデル」である。いかなる手術も診断も公的機関などからの承認も必要とせずに、性別を変更することができる。ノルウェーは2016年にこれを導入し、ノルウェーのトランスジェンダーコミュニティは、この歴史的前進を祝った。

しかしこの新法はトランスジェンダーの人びとにとって真に進歩的なものなのだろうか?そうした疑問から、ハートライン氏は、この法制により性別変更をした人々へのインタビュー調査を実施した。セミナーでは、その中から3名のトランス女性の経験が紹介された。

一人目は、性自認はノンバイナリーだという30代。ホルモン投与により外見は女性であり、性別変更をした理由は「外見上の性別」と「書類上の性別」を一致させるためとのこと。しかし、内面的には混沌としていて、自身を女性とは思っていないし、どちらかを選ぶことを強制されるのも嫌だという。二人目は60代のトランス女性。性別変更はしたが、医療的ケアは要件を満たさなかったため受けられなかった。ホルモン投与などの医療を受けるための審査は厳しく、それができる機関の数も限られている。性自認は女性であるが、身体は異なるため、自分はトランスだと思っている。法的な性別変更により、ある程度までは不安感を解消することができたが、医療的措置や社会的承認を受けられないことによる欠如を満たすほどではなかったそうである。三人目は40代のトランス女性で、いったんは女性に性別変更をしたものの、男性に戻している。医療的ケアを受けることができず、その体のままで女性として生きることは難しいと思ったそうだ。性自認は女性であり、法的な性別をそれに合わせて変えることはできるが、周囲が自分を女性として見てくれない限り、女性として生きて行くことの方が危険が多いとの判断だった。

ハートライン氏は、トランスジェンダーの人々が新法をどのように受け止めたかは様々であるという。インタビュー調査からは、皆が、ある程度のエンパワメントを感じたと同時に、失望も感じていることが明らかになった。そして特に重要なのは、性別変更という法的権利が保証されても、社会的認知や医療的ケアへのアクセスの権利が伴ってはいない点だと指摘した。また、新法は、結局のところ、男女のどちらかを選ぶ点で二項図式を維持しており、その図式に自分を当てはめられない人を排除している。ゆえに、この状態でトランスジェンダーの人々の平等が保証されたと理解するのは危険なことである。とはいえ、ハートライン氏は、これは前向きな前進であると評価しており、ここからさらに、身体の性を、性自認や表現する性と分けて理解するようなアイデンティティについての議論が進むことを期待していると述べた。

トランスジェンダーのアイデンティティについての基礎知識から、先進的な法的認知制度の現状とその受容まで網羅する報告は、知的刺激に満ちており、参加者が学ぶことは多くあった。ジェンダー研究は、社会的な性別規範をテーマに、それをどう変えていけるかという社会課題に取り組んでいるが、トランスジェンダーについての理解は、その理論を進展させ、議論を深めるものであると言える。ハートライン氏は、日本のトランスジェンダーについての研究に着手しているとのことであり、その成果を再び本学において発表してくれることを期待している。

記録担当:吉原公美(IGS特任リサーチフェロー)

《開催詳細》
【日時】2019年10月24日(木)13:20~14:50
【会場】お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科棟408
【報告者】フランス・ローズ・ハートライン(ノルウェー科学技術大学博士後期課程)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】英語
【参加者数】18名
【開催案内】http://www2.igs.ocha.ac.jp/events2019/#20191024