IGS通信 2017

セミナー「江戸時代の武家の女性たち」

IGSセミナー報告「江戸時代の武家の女性たち」

2016年11月8日、ラウラ・ネンツィ特別招聘教授の企画によるIGSセミナー「The Lives of Samurai Women of the Edo Period(江戸時代の武家の女性たち)」が開催された。カリフォルニア大学サンタバーバラ校のルーク・ロバーツ教授を講師に迎えての、英語による講義である。ロバーツ教授は、江戸時代の土佐藩の歴史研究に取り組んでいる。本セミナーは、土佐藩政府の公的記録と、家臣森家の家内で保存されていた私的記録の比較から、当時の武家の女性たちの生を読み解く内容であった。

藩の公的記録として残されている森家系図と、森家が私的記録として保存している系図には大きな違いがある。藩が持っている系図の性格は、各家の藩への奉公の記録であり、このため、すべての男子後継者が記載される。そして彼らの婚姻と、各家の構成員による犯罪が記録される。女性は婚姻についての記載と犯罪の記録にのみ登場するが、本人の名前が書かれているのではなく、誰それのおんな、というかたちで実家の父親の名前で識別されている。つまり、大事なのは姻戚関係ということだ。また興味深いことに、男子であっても年齢は記載されない。

これに対し、私的記録の家系文書には、女性の名前もきちんと書かれ、また全員の年齢がわかる。没後の法事や供養のためもあり、生没年の記載は重要であった。このような家内で管理されている系図の情報からは、公的記録には全く現れてこない、武家の女性たちの家内での役割を知ることができる。

森クマは、女性でありながら、実質的に家を管理していたが、それは藩の記録には記載されていない。クマは、かなり年長の夫の後妻として森家に入った。前妻には子がなく、妾の産んだ子が、夫の死後、家督を継いだ。しかし、この跡取りの夫婦は、若くして、成人前の子どもたちを残して死亡してしまう。彼らの長男が、後継として家長の立場になるが、まだ年若い上、参勤交代の供を命じられ江戸へ出立してしまう。そこで、家を管理する役割は、祖母であるクマが引き受けざるを得なくなった。それからまもなく城下で大火事があり、森家も焼け落ちるという困難もあった。こうした苦境から、クマは家を立て直し、さらに次男に独立した所帯をもたせるという偉業を、森家と実家のヨシダ家の親族の助けを得て成し遂げている。クマに限らず、母親が、幼い息子に成り代わって家を取り仕切ることは、珍しくなかったであろう。ただ、それがわかるのは、相続時の子どもの年齢がわかればこそのことである。藩の家系文書には年齢記載がないため、実権を握っていたのが家内の女性であったことが隠されてしまう。つまり、藩は、男性中心、家父長制という建前を記録することに力をいれていたということなのだ。

同様に、身分制度により、公的記録からは隠されてしまう女性がいる。港の税収役を父に持つ、庶民出身のウメノは、夫の3人目の妻として森家に入った。最初は使用人の立場であったが、婚礼の席には森家の親類縁者が招かれ、森一族からは正式に妻として認められた婚姻であったことが、夫の日記に記されている。しかし、庶民出身の彼女が、藩から公的に妻として認められることはなかった。伺いは立てたものの、その話はするなと言われた。後に、彼女の息子が家督を継いだとき、ウメノは、藩の記録に、その母である妾として記載された。だからといって、家内での立場が弱かったというわけではなく、夫の死後には養子である跡取りの結婚の一切を取り仕切るなど、重要な役割を果たした。社交的で婚家と生家の親戚との付き合いも多く、彼女が亡くなったときには、105人の会葬者が葬列に加わったと、日記に記されている。これも、藩の記録を見ているだけではわからない、武家の女性の姿である。

藩に残される系図は、下書きの提出に始まり、交渉を経て、最終的な公的バージョンが作られた。藩が気に入る、法に沿った記述であることが大事で、事実を正確に記録する必要はなかった。とはいえ、これは嘘というよりも、ある種の情報管理であると、ロバーツ教授は指摘した。これは、幕府なり藩政府にとって、または武家の男性たちにとって、家父長制は安泰であり、すべてを管理しているのは男性たちであるというイメージ作りをする機能を持っていた。

こうした構造は、女性による犯罪への対応にも表れている。女性が藩の記録に現れるのは、婚姻のほかには罪を犯したときであるが、藩の処罰の対象になるのは女性本人ではなく、夫など、家長の男であり、管理責任が問われるのだ。そのため、まずは夫が妻を罰することが求められ、そして、管理不行き届きとして、夫が藩から処罰される。そしてもちろん、女性の犯罪に限らず、男性の不品行についても、家としての責任が問われる。何か大事になりそうな問題が発生したときは、いかに内々に事を収めるか、家と藩の間の政治的な駆け引きに力が尽くされる。この際の水面下の動きは、藩の公的記録には残らないが、日記や随筆のような私的文書に、詳細な記録が残されていたりする。

マエノ家に嫁いだ森ナオは、夫の暴力に耐えかね、森家の母親に助けを求めた。一度は諭されて帰ったものの、もう我慢がならないと家を抜け出して実家に戻った。今度は母親も離婚に同意し、息子たちを説得して、森家の親戚に支援を求めた。当時、離婚は、夫が離縁状を書くことによってのみ成立したのである。森一族は一丸となってマエノ家の説得にあたり、並行して、藩政府への政治工作も進めた。これを受けて、藩政府は、離婚が成立しなければ事を公にせざるを得ない、とマエノ家に圧力をかけた。この間、マエノ家は夫を懸命に説得し、ついには、離婚は殿への務め、と言って迫ったが、夫は頑なに首を縦には振らず、務めなどどうでもいい、とまで言い出した。結局、マエノ家では、庭に大きな檻を作り、真冬に2ヵ月、夫を閉じ込め、ついに離縁状を書かせてことを収めた。この件はマエノ家の男性が詳細な記録を残していたのだが、興味深いことに、その文章のどこにもナオの名前は書かれていない。ロバーツ氏が、これは森ナオの話であるとわかったのは、森家の系図があったからとのことである。合わせて、この離婚は、ナオの母が一家を束ねる立場にあったおかげで実現したことであり、ここにも、女性の持つ力を垣間見ることができる。

この他にも、各家に保存されている日記や手紙からは、女性たちの生活のいろいろな側面が見えてくる。例えば、クマの孫娘エツについては、弟の日記に、釣りが好きだったことを始めとして、たくさんの日常生活についての記述が残されている。興味深いのは、形見分けのリストである。自分が亡くなった後に、自分の持ち物の内から、何を誰にあげるかの一覧であるが、これを見ると、どんなものが大切な品で、誰が親しい人だったかがわかる。またそこから、女性たちが、生家や婚家の親戚やその他の友人たちと、どんなネットワークを持っていたかも見えてくる。

これらの物語により、江戸時代の家父長制のもとで声も力も持たなかったと思われがちな武家の女性たちが、実際には、様々な形で、自分の思うところを実現させる力を、人間関係のネットワークをうまく使うことで得ていたことが明らかにされた。その他にも、セミナーでは、ロバーツ氏の歴史文献の読み込みの技術について知ることが出来た。例えば、藩の記録ひとつに目を通すだけでなく、私的記録との比較をしていくことで、藩の公的記録の目的やその社会的意味合いがわかってくる。私的記録にしても、男性が残した日記や随筆の量は、女性たちの手による手紙などよりずっと多いが、その中に家内の女性に関する記述は少なからずあり、そこから、家父長制の建前の背後に隠された、女性たちの生き生きとした姿をイメージすることができる。講義後には聴衆からの質問も多く出され、皆がロバート氏の話を楽しみ、そこから多くを学んだことが伺われた。歴史研究者が感じる発見の喜びを、一緒に味合わせてもらったような講義であった。

記録担当:吉原公美(IGS特任RF)

ルーク・ロバーツ氏

【日時】2016年11月8日(火)19:00~20:30
【会場】お茶の水女子大学本館125室
【講師】ルーク・ロバーツ(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)
【コーディネーター/司会】ラウラ・ネンツィ(IGS特別招聘教授/テネシー大学教授)
【主催】お茶の水女子大学ジェンダー研究所
【参加者数】25名

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