IGS通信 2017

セミナー「ジェンダー・食・帝国:「他者を食べる」物語と記憶」

IGSセミナー報告「ジェンダー・食・帝国:「他者を食べる」物語と記憶(林芙美子の小説と成瀬巳喜男の翻案映画を中心に)」

2016年11月25日、ラウラ・ネンツィ特別招聘教授の企画によるIGSセミナー「Gender, Food, and Empire: Eating the Other in Hayashi Fumiko’s Novels and Naruse Mikio’s Adaptation Films(ジェンダー・食・帝国:「他者を食べる」物語と記憶(林芙美子の小説と成瀬巳喜男の翻案映画を中心に))」が開催された。英語による講義であり、ゲスト講師は、テネシー大学の堀口典子准教授。堀口氏の研究分野は、近代日本文学、大衆文化、映画、ジェンダーである。セミナーでは、現在進行中の、女性による食と帝国についての語りと記憶の研究についてお話いただいた。

堀口氏の前著『Women AdriftThe Literature of Japan’s Imperial Body』は、帝国日本内を移動する女性の身体と「国体」言説との関わりに関するものであった。それに続く現在のプロジェクトでは、移動する女性たちの身体、そして国体をつくりだした、同時代の「食」に焦点を当てている。戦前の内地の放浪、戦中の外地への旅立ち、そして戦後の日本への帰還という移動の中で、女性たちの食がどう変化し、食がどのように帝国日本と国民のアイデンティティ構築に関係していたかを、林芙美子の『放浪記』(1930刊)、『北岸部隊』(1939刊)、『浮雲』(1951刊)という3作品を読むことで紐解いていく。

『放浪記』に描かれているのは、戦前の内地の女性労働者たちの姿である。主人公は、貧しく、職と住処を転々とし、独り身で、家族がそろってちゃぶ台を囲むような、幸せそうな食事風景とは無縁である。つまり、そのちゃぶ台が象徴するような、家族国家のイデオロギーの外にいる存在である。彼女が自分を同化させる対象は、魚屋の店先の魚や八百屋の店先の茄子といった、安価に売り買いされる食料や、西洋列強の支配者に売り買いされる「土人」であり、自らを地理的、社会的、民族的に周縁に押しやられている存在とみている。しかし、主人公は、強者の保護を求める弱い存在ではなく、どんなに空腹を嘆いても、「男にくわしてもらう事は、泥を噛んでいるよりも辛いこと」と気を張り、日本を象徴する富士山を「老い朽ちたまんじゅう」とさげすんで、「お前に頭をさげない」と、国家への抵抗を表明している。そして、「外国へ・・・何処か遠くへ行きたい。」と、日本を離れる移動への欲求が語られている。

『北岸部隊』は、内閣情報部が編成したペン部隊の一員として、中国戦線の部隊に同行した際の従軍記である。日本を離れた外地で、語り手が自分を同化させていく対象は、日本帝国軍の兵士たちに変わる。戦場という空間で、食や煙草や水を分け合うことが、林を家族国家の一員にしていった。飢えや粗食に対する不平感も消え、兵士たちの看病をしたいという奉仕の気持ちと、兵士たちの精神の純粋さへの崇敬の念が表される。兵士たちは良き家庭人であり、親切で礼儀正しかったという記述も、『放浪記』に登場する男性たちの、侮辱的で女性たちを食い物にしている姿とは対照的である。『放浪記』で自分を同化させる対象としていた周縁的存在である中国人に対しては、その「死体は一つの物体にしか見えず」、「敵対」する民族、つまり、他者という位置づけに変わっている。自らは、他者を食い物にする立場に転身している。こうした人気作家による語りが、帝国日本のアイデンティティ構築に貢献したであろうことは、想像に難くない。また、「国を愛する気持ち・・・を、私は生涯忘れないだろう。」という強い愛国心は、日本に居場所を求める動機であり、話は、戦後日本を舞台にした『浮雲』につながっていく。

『浮雲』の主人公ゆき子は、米兵相手の売春で生計を立てている独身女性で、人目を忍んで会う、既婚者の日本人の恋人がいる。貧しく、病んだ生活の中、ゆき子は、戦中のベトナムでの、恋人との幸福な日々を懐かしく思い起こす。成瀬巳喜男制作の映画作品(1955年)では、現在の苦境とベトナムでの幸福な生活の違いが、映像の明暗で表現されている。戦後の、薄暗い屋内で、汚れたちゃぶ台を、恋人と二人でうつむき囲むシーンに対し、ベトナム時代の懐古では、洋風の大邸宅の、白を基調としてコーディネートされたダイニングルームでの、ベトナム人メイドの給仕による楽しそうな食事シーンと、明るい屋外の森の中ではしゃぐシーンが使われる。しかし、この失われた帝国時代の思い出の中では、同時に、利己的で破壊的な、ベトナムの労働力や食料、自然資源を奪う日本人占領者の姿への疑問や反省も語られている。

3作品を追って見てきたように、女性たちの社会的課題と政治的立ち位置は、彼女たちの身体が帝国内を移動し、食糧事情と食卓環境が変化するのにつれて変わってきた。食はまた、帝国日本の経済的政治的欲求、そしてその崩壊とも密接に関わっている。林芙美子と彼女の小説の主人公である女性たちによる、食についての語りと記憶は、日本の国民と帝国のアイデンティティの構築と再構築に貢献してきた。その意味で、林芙美子は、日本で初めて、飢えと食について女性の視点から描いた女性作家というだけでなく、近代日本の帝国史を称賛しかつ批判する、食への欲求と政治的野心を描いた最初の女性作家だと言える。

合わせて、講義では、文学研究の手法についての解説もあった。私たちの世界はテキストの世界であるという前提で、文学研究やカルチュラルスタディーズでは、テキストとコンテキスト(分りやすく言い換えるならば、書かれた言葉とその文脈)を慎重に読むことが求められる。また、デカルト主義二元論という、モノとココロを対極に置く分析軸が、この文献の分析にどう有効で、どう使えるかの検討が示された。このほか、ジャック・デリダとベル・フックが1990年代初頭に説いた、「他者を食べる」ことについての分析が、この文脈でどう援用できるか、といった説明も要所で加えられた。そして、講義内容からは、数百ページにわたるテキストや、数時間に及ぶ長さの映像作品から、これという文章やシーンを発見して、そこを読み込んで、分析材料として提示する作業の緻密さを知ることもできた。

質疑応答では、堀口氏の分析ポイントについてのさらなる解説を求める質問や、異なる視点からの解釈の提案、他の同時代テキストとの比較、原作と舞台化作品、映画化作品の違いについてなどのコメントが出され、様々な点についての議論が展開された。参加者からのコメントのひとつひとつに対し、メモを取りながら丁寧に応答する、堀口氏の姿が印象的であった。また、セミナー全体を通し、堀口氏のこのプロジェクトへの熱意が感じられた。本セミナーが、堀口氏の研究の一助となったことを願うとともに、執筆中の同テーマの新著の完成を待ち望む。

記録担当:吉原公美(IGS特任RF)

 

【日時】2016年11月25日(金)18:30-20:00
【会場】お茶の水女子大学本館125室
【講師】堀口典子(テネシー大学准教授)
【コーディネーター/司会】ラウラ・ネンツィ(IGS特別招聘教授/テネシー大学教授)
【主催】お茶の水女子大学ジェンダー研究所
【参加者数】15名

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