セミナー「歴史のサイズ:小さな世界、大きな世界、その間の人々」
2017年7月18日、ラウラ・ネンツィIGS特別招聘教授によるIGSセミナー「The Size of History: Small Worlds, Big Worlds, and the People Caught in Between(歴史のサイズ:小さな世界、大きな世界、その間の人々)」が開催された。ネンツィ氏の研究分野は徳川時代の社会文化史で、特にジェンダーに関心を持っている。講義は、「歴史に『適切なサイズ』というものはあるのか?」という設問への答えを探る形で進められ、著書『The Chaos and Cosmos of Kurosawa Tokiko(黒澤止幾子の混沌と秩序)』を題材に、ネンツィ教授が取り組んでいるマイクロ・ヒストリーの研究手法が解説された。
ネンツィ氏の書籍の主人公である黒澤止幾子(1806~1890年)は、幕末から明治という大きな社会変化の時代を生きた女性である。水戸藩の錫高野(すずごや)村(現在の茨城県城里町)に生まれ、そこで生涯のほとんどを過 ごした。教師、歌人、占い師、政治運動家という多様な顔を持つが、一般的な歴史の教科書に名前が記されるような存在ではない。「マイクロ・ヒストリー」は、そのような小さな存在に光を当てる研究手法である。
一般的な歴史記述が、著名人に焦点を当てたり、ある特定の時代の期間を取り上げたり、都市部を取り上げることが多いのに対し、マイクロ・ヒストリーは、特に重要とはみなされず知名度もない人々に目を向け、比較的短い期間に焦点を絞り、地方都市や小さな町村での出来事を題材とすることが多い。講義では、この対比が、パノラマとクローズアップ、樹木と葉、蛙とその表皮細胞、広大な緑地とテントウムシといった比喩で説明された。小さなスケールの事柄を対象とするマイクロ・ヒストリー研究は、重要性を見出しにくい人物や事柄を取り上げるがゆえに、その研究の重要性の根拠を示すことがより必要だと強調された。
マイクロ・ヒストリーとは逆の、より大きなスケールの歴史研究についても、アメリカの歴史学の変遷をたどる形で解説があった。18世紀初めから19世紀初めにかけては、「西洋文明史」が重要視された。大量の移民流入と第一次世界大戦という社会的混乱を背景に、アメリカである種のアイデンティティ・クライシスが発生した。その結果、「西洋」を定義することが求められ、歴史教育がその役を担った。ここでは、西洋が最先端を行く直線的な文明の発展モデルにより、歴史が語られた。1970年代に入るころには、市民運動の影響を受けて、「ワールド・ヒストリー」という概念が台頭した。世界には多様な国があるという認識に基づき、異なる文化に優劣をつけないアプローチが取られた。直線的な発展という前時代の考え方も否定されたが、国境という地域区分は残されていた。1990年代に入ると、「グローバル・ヒストリー」という視点が用いられるようになり、国境を越えたグローバルな移動や、例えば「ユーラシア」のような、既存の地政学的区分を超えた着眼点での歴史研究がされるようになってきた。さらに大きなスケールで、ビッグバンを起点に宇宙規模の歴史について考える、「ビッグ・ヒストリー」に取り組む動きもあるということである。
様々な歴史のサイズが例示されたところで、冒頭の設問に戻り、どのサイズが正しいのか?という問いかけがなされた。ネンツィ氏が述べた答えは、どれが正しいかを決める必要も、どれかに固執する必要もない、というものである。異なる歴史のサイズを用いることは、視点を変えることである。マイクロ・ヒストリーは、ただ「小さい」ということではない。マイクロ・ヒストリーの視点は、小さな鍵穴から、その向こうに広がる景色を見るようなものでもある。各時代に生きた無名な人々の小さな行いを、その背景にあるより大きなサイズの歴史的な流れに関連付けることで、私たちは、その時代時代の人々についての知識を増やし、歴史理解をより深めることが出来るのだ。
歴史研究の方法論が主題のセミナーであったが、会場には、他の分野を専門とする聴衆も多かった。視点を変えて事象を見るということは、歴史学の分野に限らず説かれていることと思われるが、改めて歴史研究の方法論としてまとめられた講義を通じて、その重要性を再確認した参加者もあったようである。講義の要所で、マイクロ・ヒストリーがジェンダー視点の研究手法として有効であることも示唆され、ジェンダー研究の方法論理解の面でも、意義のある講義であった。
記録担当:吉原公美(IGS特任リサーチフェロー)
【日時】2017年7月18日(火)16:40~18:10
【会場】本館135号室
【報告】ラウラ・ネンツィ(IGS特別招聘教授/テネシー大学教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】英語
【参加者数】16名