IGSセミナー報告「フランス啓蒙の女性論」(リベラルフェミニズムの再検討②)
2019年2月15日、森村敏己氏(一橋大学教授)を報告者としてお招きし、IGSセミナー「フランス啓蒙の⼥性論:エルヴェシウスを中心に」を開催した。
イギリスの功利主義者ベンサムに影響を与えた重要な思想家の一人、エルヴェシウス(Claude-Adrien Helvétius、1715-1771)は⼥性や男⼥平等を主要な問題として取り上げたことはないが、彼の「⼥性」論は、感覚論的認識論に⽴脚した独特な環境決定論(=知的・道徳的能力の先天的平等論)から導かれる論理的帰結であったというのが報告の骨⼦である。とりわけ『精神論』(De l’esprit、1751)でディドロから批判を浴びた認識論と環境決定論は『人間論』(De l’homme、1773)において再論され、彼の⼥性論に重要な視座を与えつつ、その思想体系全体にとっても要の位置を担っていることから、他の論者との比較を通して、その独自な意義が明らかになった。
エルヴェシウスの思想の特徴として、第1にロックおよびコンディヤックを継承した感覚論的認識論、第2に人間は快を求め、不快を避けようとする本質的傾向(利害関心)を持つという快苦原理、第3に感覚受容能力は特定の構造を持つ物質=身体が有する特性であり、身体から独⽴した霊魂を想定する必要はないという唯物論、第4に社会における最大多数者の利害関心に適うこと=公共善こそが正義と道徳的正しさの規準であるという功利主義、第5に生まれつきの知的才能や道徳的資質は存在せず、人間の知的・道徳的能力の差異はすべて教育の違いに由来するという環境決定論が挙げられた。同時代人によるエルヴェシウス批判の詳細は割愛する。
エルヴェシウスが⼥性について論じた部分を再構成すると、第1に⼥性が男性に媚びるといった依存的な存在であるのはその教育の結果であり、とりわけ修道院での⼥性教育の改善が必要であること、第2に多産を尊ぶ社会では一夫一婦制や貞節に合理的根拠はなく、⼥性が夫を自由に選択でき、離婚も自由な国では不貞は起こらないこと、第3に男⼥は先天的に平等にあるにもかかわらず、⼥性が受ける教育が劣悪なために、⼥性は劣っているとみなされていること、このような状況で、⼥性は男性以上に知的・道徳的向上への見返りを期待できない社会となっていることへのエルヴェシウスの批判が位置づけられた。
さらにプーラン・ド・ラ・バール(François Poullan de la Barre、1647-1723)『両性平等論』に見られる心身二元論や男性⽀配の構造、アントワーヌ・レオナール・トマ(Antoine-Léonard Thomas、1732-1785)『⼥性についてのエッセイ』(1772年)での⼥性の隷属状態の告発、心身組織の差異から男⼥の差異を論じ(むろん差異の存在は⼥性の劣悪な境遇を正当化しないとも論じた)、エルヴェシウスを批判したディドロ(Denis Diderot、1713-1784)の⼥性論、そしてデピネ夫人(Louise Florence Pétronille Tardleu d’Esclavelles d’Épinay、1726-1783)の『ガリアーニへの手紙』が取り上げられ、以下の点の指摘があった。
啓蒙期フランスにおける男⼥平等論は少数派であり、男⼥の精神機能の差異については、身体組織の差異を精神機能の差異の根拠としないための理論、すなわち心身二元論に⽴つか、あるいはエルヴェシウスのように教育が原因とする環境重視説かという二つの方向性があったのではないかという指摘である。
その後の質疑応答においては、フランス啓蒙期の男⼥平等に関する議論のイギリスでの受容の仕方や、エルヴェシウスのテクストの特徴、啓蒙期と現代とをつなぐ視点について活発な質疑応答が行なわれた。
記録担当:板井広明(IGS特任講師)
《イベント詳細》 【日時】2019年2月15日(⾦)15:00〜17:30 |