IGSセミナー報告「「合理的配慮」をめぐって」
2017年9⽉26⽇、IGSセミナー「「合理的配慮」をめぐって」を開催した。報告者は、川島・飯野・⻄倉・星加『合理的配慮:対話を開く、対話が拓く』(有斐閣、2016年)の著者のうち、星加良司⽒(東京⼤学)と飯野由⾥⼦⽒(東京⼤学)で、コメンテーターに根村直美⽒(⽇本⼤学)、司会を板井広明(IGS特任講師)がつとめた。
まず星加⽒が「個々の場⾯における障害者個⼈のニーズに応じて、過重負担を伴わない範囲で、社会的障壁を除去すること(公的機関は法的義務、⺠間は努⼒義務(ただし雇⽤においては法的義務))」という合理的配慮に関する誤解や混乱を回避し、学際的なアプローチを訴えかけるための概念的整理があった。
その上で、残される問題は2つあり、第1は「最低限のアクセス保障に限界付けられる危険性」として、「「機会の確保」や「質の維持」の⽔準設定によって、合理的配慮の⽅法選択が左右される」ことである。第2は、「本質的な能⼒」の保守的・排除的な運⽤の危険性は、「(健常者中⼼の)社会において有⽤な能⼒」への偏りに依拠することが起こり得ることである。「本質」の拡⼤解釈が合理的配慮の余地を狭めてしまうことであり、たとえば、コミュニケーション能⼒などが要求される中、発達障害などの⼈々が阻害され、低い評価を受けることで、配慮以前の問題として⽚付けられてしまうことが起こりうる。
その点で、状況改善のための「配慮」にはどんなものがありうるか。対話を重ねることで、配慮がより実効化するのではないかという指摘があった。
また合理的配慮によって、たとえば企業はコストを負担することで利益を損ねてしまうのではないかと懸念される点については、狭い視点でのコスト−ベネフィット分析を拡張する必要があるのではないかという。合理的配慮による障碍者雇⽤が職場環境の多様性向上による新たな発想やイノベーションや、潜在的な労働⼒の求職⾏動を促進し、社会保障費抑制に伴う企業負担の低減と市場の活性化などのベネフィットがありうると⽰唆された。
飯野⽒は「多様性を踏まえた合理的配慮の提供に向けて」と題して、合理的配慮とポジティブ・アクション(バリアフリー化や割当性)との違いの説明があり、また合理的な配慮が多様な差異ある⼈々を適切にすくいとれるのかという問題点が挙げられた。たとえば法整備によって性別に応じた合理的配慮の提供が望ましいという点は⽀持されたが、トランスジェンダーの障碍者のニーズが適切に配慮されるかどうかは曖昧なままである。
また法そのものが前提する価値としての異性愛規範などにより、⾮異性愛的なあり⽅が軽視されるとすれば、それらに対する差別の働きを緩めて⾏く必要が指摘され、その上で、「合理的配慮を「共⽣の技法」と捉え、現代社会におけるマイノリティ問題の新たな処⽅箋として普遍化していくことは可能か?」として、「宗教や宗教的信仰に基づくニーズ」、「妊娠中の⼥性(労働者)」、「性的マイノリティ」について、その問題の所在が挙げられた。
たとえば、学校における性的マイノリティへの配慮として、「⾃認する性別の制服・⾐服や、体操着の着⽤を認める。標準より⻑い髪型を⼀定の範囲で認める。保健室・多⽬的トイレ等の利⽤を認める。職員トイレ・多⽬的トイレの利⽤を認める。校内⽂書(通知表を含む)を児童⽣徒が希望する呼称で記す。⾃認する性別として名簿上扱う。体育⼜は保健体育において別メニューを設定する。上半⾝が隠れる⽔着の着⽤を認める。(⽔泳の授業を)補習として別⽇に実施、⼜はレポート課題で代替する。(運動部については)⾃認する性別に係る活動への参加を認める。(修学旅⾏等では)⼀⼈部屋の使⽤を認める。⼊浴時間をずらす」などが挙げられた。
⼆名の報告の後、根村⽒より、哲学・倫理学の⽴場からコメントがあった。
星加⽒へは、「障害者への「合理的配慮」は、完全に各⼈の⾃⼰利益へと還元することはできないかもしれないが、少なくとも⾃⼰利益への配慮を出発点としうる(≒「情けは⼈のためならず」)という形で議論を展開したほうが、「かわいそうな⼈たちを助ける」といった、いわゆる「上から⽬線」ではなくアプローチできるのではないか」という指摘の上で、3点にわたり、質問があった。
「障害者に関する「合理的配慮」の提供のための「第三者による負担」を考えるにあたって、「⾃⼰利益を超える規範的正当化」の必要性を感じられた背景は?」、「今回の障害者をめぐる法制の改⾰に際して、当事者から、「障害あるアメリカ⼈法」の制定時のような声があがるようなことはなかったのか?」、「現在の<⽣産第⼀主義的な>教育・雇⽤の場に⼊ることが「できない」状態の⼈たちにとっての「差別解消」とはどのような状態なのか?」である。
星加⽒からの応答は、⾃⼰利益である程度は説明ができるし、保険の原理もまさにそういう側⾯があるが、異質な他者と出会うためには、⾃⼰利益のほかに公共財に関する議論も参考にすべきであろうこと、また合理的配慮という法的義務だけでは、ほんの⼀部のことしか救えないので、対話、他者のニーズを聴くという姿勢が重要であり、それを共有して、お互いでリーズナブルな形で解決できるか、いわば適⽤範囲が対話からひろがっていくという⾒通しをもちたいとのことだった。
飯野⽒へは、LGBTへの⾏政の取り組みという動きが障害者をめぐる法整備にあまり影響を与えなかったのはなぜなのか?という質問があり、第1に、差別禁⽌部会の議事録などでは、セクシュアリティの視点が⽋如し、ジェンダーの視点、障碍⼥性差別を⼊れることが優先されたこと、またセクシュアリティのニーズが、法律を通して解決するものとして認識されていない背景があるのではないかとリプライがあった。
さらに「現在の<⽣産第⼀主義的な>教育・雇⽤の場に⼊ることが「できない」状態の⼈たちにとっての「差別解消」とはどのような状態なのか?」というコメントには、合理的配慮は万能ではなく、ごくごく⼀部の問題しか解決できないが、差別禁⽌アプローチ以外の⽅法が模索されていく必要性があるだろうこと、また合理的配慮は普遍的概念なので、障碍者以外にも適⽤可能であり、イギリスの平等法のような、⼀括した差別禁⽌法が望ましいという点のリプライがあった。
また、さまざまな配慮がされることで、わかりやすいと対話が⽣まれず、逆にわかりにくいことで、対話が⽣まれるというありようも考慮に⼊れる必要があるという飯野⽒のリプライは興味深いものだった。
合理的配慮は従来の異なった者を平等に処遇するというものと、異なったものを異なった形で処遇するというものとの差異を明確にして、⼈々の選択肢、アマルティア・センの概念で⾔えば、潜在能⼒をいかに発揮できる社会になるのかという点に関して、その第1歩になると考えて良いと思われる。
その後の議論においても、合理的配慮をめぐる現状や規範について活発な議論が⾏なわれた。まだまだ適切な取り扱いがなされているとは⾔えない「合理的配慮」の問題について、基本的な事項をおさえ、よりよき実現に向けて考えを深めるよい機会となった。
記録担当:板井広明(IGS特任講師)
《参考書籍》 |
『合理的配慮-対話を開く、対話が拓く:「思いやり」の社会を超えて』 川島聡(岡山理科大学准教授)、飯野由里子(東京大学研究員)、 有斐閣 2016年7月刊 |
《イベント詳細》 【⽇時】2017年9⽉26⽇(⽕)18:00〜20:30 |