IGSセミナー報告「訳者と語る『京城のモダンガール:消費・労働・女性から見た植民地近代』:コロニアリズム/ポストコロニアリズム/ネオコロニアリズムの射程と「女」の位置」
2016年4月にみすず書房より、徐智瑛著、姜信子氏、高橋梓訳『京城のモダンガール:消費・労働・女性から見た植民地近代』が出版された。本セミナー「訳者と語る『京城のモダンガール』」はこの日本語版出版を記念して、翻訳者の姜、高橋両氏を講師に迎え、日本語版刊行に至った経緯や、日本の読者が日本語で本書を読むことの意味について議論した。司会は臺丸谷美幸(IGS特任リサーチフェロー)、ディスカッサントは足立眞理子(IGS教授)が務めた。1920〜30年代の植民地近代都市・京城(ソウル)で「モッタンガール(あやまてる女、間違った女という意味)」といわれた「女」たちの表象と実像に、コロニアリズム、モダニズム、ジェンダー、人種/エスニシティ、階層など、多様な視点から迫ることを目指した。
はじめに司会の臺丸谷から、今日において継続・再生産される日本の植民地主義への警鐘、植民地都市京城のモダンガール研究から私たちは何を学ぶのかという問題提起がなされた。
高橋氏の講演「京城の『モダンガール』とは誰なのか:訳者として日本語版『京城のモダンガール』にかかわって」では、本書の韓国での評価について解説の後、「モダンガールとは誰なのか」という発題を元に、本書が描いた女性たちの実像に迫る議論が提示された。
続く姜氏の講演「私はいかにして植民地のモダンガールに出会ったか」は、本書に出会う以前の出来事として、自身の家族の物語を出発点とする旅の話、すなわち、かつて朝鮮民族が歴史的に辿ったロシア、中央アジアへのディアスポラ的軌跡を追い、さらに石垣島やハンセン病患者が隔離された島など日本国内に存在する植民地を指摘しながら、済州島に至るまでの経緯を述べた。そして言葉を奪われ「語る言葉を持たない」者の言葉を聴くことの重要性を指摘した。最後に「帝国が劣情をもって組み伏せる植民地は、常に従順な女の顔をしている」だろうが、本当は女の中には「鬼」がいるのだと述べた。
ディスカッサントの足立氏は、戦間期研究とジェンダー分析による近代再考の重要性を指摘し、モダンガールとは、女性散策者であり移動する主体であること、植民地近代を異化する概念であると指摘した。ゆえにモダンガールの分析には、女性の行為遂行性そのものを見ることに限り可能となると分析した。
学問知と文学や言葉が出会い、交差し、融和することで、本書が投げかけた多くの問いを紐解き、語る場となった。
《イベント詳細》 午前の部:講演会 午後の部:書評会 【成果刊行】 |