2023.2.17 IGSセミナー「「棄民」を記録する:今村昌平・ドキュメンタリー映画『からゆきさん』(1973)再考」
本セミナーは、映画監督・今村昌平によるドキュメンタリー映画『からゆきさん』(1973年)を題材に、「からゆきさん」と呼ばれた明治・大正期に身一つで海外へ「出稼ぎ」に向かった日本女性たちの表象とその意味を、歴史研究と映画学から考察したものである。ドキュメンタリー映画『からゆきさん』冒頭15分程度を視聴した後、映画学・表象文化学から原爆映画の研究を専門とする片岡佑介氏と、ジェンダー史学から「からゆきさん」研究を専門とする嶽本新奈氏が講師として登壇し、ドキュメンタリー映画『からゆきさん』を紐解く考察や論点が報告された。
歴史学の視点から嶽本新奈氏は、「キクヨさん」の波乱に満ちた生涯を概観したうえで、「棄民」というキーワードに注目する。今村にとっての「棄民」とは日本の近代化から置き去りにされた人々であり、『からゆきさん』は女性たちの「怨嗟」の声を記録することを目的としたわけだが、実際、今村は自身が期待する「怨嗟」を女性たちから引き出すことに失敗している。その背景として、嶽本氏は、森崎和江による「流民」という概念と比較し、今村は元「からゆきさん」の生そのものには関心を寄せていなかった点を指摘する。今村による「棄民」は国民国家的思想に基づいており、今村が期待する「怨嗟」は国家、資本、権力といったマクロな構造から「捨てられた」という認識を持たなければ発せられることはないものである。一方、元「からゆきさん」が語る「怨嗟」は、親や楼主、買春者などのミクロな人間関係に対して向けられており、今村の問題関心の範囲ではくみ取ることができない。嶽本氏はミクロレベルの女性たちの語りにマクロな構造が連関している点や、作り手である今村自身も家父長制的構造等、マクロな構造から自由であるわけではない点を指摘した。
次に、片岡佑介氏は映画学の視点から『からゆきさん』の映画としての側面に注目する。下層社会の人々に焦点を当ててきた今村作品にはふたつの特徴がある。一点目は、女性の性を通じて日本の近代・前近代を批判的に把握する点、二つ目はドキュメンタリーという方法論である。片岡氏によると、前者については、『からゆきさん』でも従来と同様の枠組みのもと、日本の海外膨張政策との関係の中で元「からゆきさん」の生涯が語られており、後者については、1960年代から既存の映画を刷新する方法とされた「ドキュメンタリー」という手法を『からゆきさん』でも採用し、記録として残されてきた「社会的出来事」と、記録されることのなかった「女性の性的体験」という対比の中で映像が編集されたという。加えて、片岡氏は、今村が女性たちの性にのみ焦点を当てることで、被占領国の男性作家に特有の言説に陥っていると指摘する。『からゆきさん』では「キクヨさん」の生涯が図式的に編集され、映像の終盤になるにつれ、「キクヨさん」は「語る存在」から、元雇用主や地元の人間、そして今村によって「語られる存在」へと追いやられている。しかし、片岡氏は、無言で口ごもる「キクヨさん」の声こそがもつ記録としての可能性についても提示した。
報告後の質疑応答では、今村を含む戦後の前衛的な男性作家のポジショナリティの無自覚さや、作品における植民地の歴史やエスニシティの視点の欠落、カメラマンなど撮影者の視点の重要性など多岐にわたる議論が交わされた。
大野聖良(日本学術振興会特別研究員(RPD)・神戸大学)
《イベント詳細》
IGSセミナー「「棄民」を記録する:今村昌平・ドキュメンタリー映画『からゆきさん』(1973)再考」
【日時】2023年2月17日(金)14:00~16:00
【会場】ハイブリッド開催
オンライン(Zoomウェビナー)
対面(国際交流留学生プラザ3階 セミナー室)
【報告者】片岡佑介(一橋大学ほか非常勤講師 立教大学ジェンダーフォーラム教育研究嘱託員)
嶽本新奈(IGS特任講師)
【司会】
大橋史恵(IGS准教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日本語
【参加者数】63名