IGS通信

IGSセミナー「今日の日本におけるトランスジェンダー研究」

2024.2.20 IGSセミナー「今日の日本におけるトランスジェンダー研究」

  2019年より本学のトランスジェンダー研究に貢献されてきたフランス・ローズ・ハートライン氏と、彼の研究助手を務める森田真梨子氏による、約1年間に渡るインタヴュー調査からは、日本のトランスの人々の見せる多様な側面や、西欧にはない日本の固有性が明らかになり、今後の研究課題をも明確に定めるものとなった。西欧圏出身で、日本のジェンダー運動に関心を持つハートライン氏は、当事者たちの持つ帰属意識に焦点を当てたこのプロジェクトを始めるきっかけとなった、西欧圏における日本のトランスの人々への既存の通念をまず紹介。法律・慣習・社会的風潮の点でジェンダー多様性を認め保障しようとする西欧圏に比べ、日本は大きく後れを取っていると認識されている。しかしながら、不十分な法整備や社会における誤解や差別のために、日本のトランスの人々がただただ苦難の多い毎日を過ごしているという考えは、彼らの実態の一部を見ているだけに過ぎない。西欧圏における、トランスジェンダーであることは人生の悲劇だとする概念と、学術及びメディアの議論の中の新植民地主義的傾向へ一石を投じるべく、ハートライン氏は以下の3点を示すことをプロジェクトの目標とした。(1) トランスジェンダーとして生きる悦びと充足感(gender-diverse joy)が、西欧圏以外でも発見可能であること、(2) 苦難に直面している少数派の人々であっても、社会の周縁に生きることの利点を感じうること、(3) 帰属意識を持つのに、「普通であること」を達成する必要はないこと。
 約1年間に渡る、日本在住の50名のトランスの人々へのインタヴュー調査から浮かび上がってきたものは、彼らが実に多様性に富んだ帰属意識を持ち、その微妙な差異は豊富で、活気に満ちているということだった。彼らの多くは、トランスジェンダーというジェンダー・アイデンティティが公的に承認されているとは言い難い状態に留め置かれているにも関わらず、自分自身の「他者性」に意味と目的を見出していたという。また、彼らのトランスジェンダーとして生きる悦びと充足感(gender-diverse joy)の在り様には、文化的背景によって明らかな差異があることも判明した。日本で育ち、流暢な英語を話さない人たちは、ほとんどが共感と結束の形で、彼らの悦びと充足感を語った。これに対し、西洋の背景を持つ人や、流暢に英語を話すゆえ、西洋の議論に触れることができる人たちは、主に自らがユニークな存在であることや、社会規範に挑戦する力が得られたことを、悦びと充足感として語ったのだ。この発見は、冒頭で紹介された西欧圏における日本のトランスの人々への既存の通念への反証となり、西欧のトランス権利運動における概念が、そのまま日本のトランスジェンダーのコミュニティに当てはまらないことへの証左となった、とハートライン氏は述べる。他者とともに互いに共通した痛みと苦難を想像し、連帯感や意味を育む文化特有の実践は、西欧圏における日本のトランスの在り方への認識に欠けているものであるという。
 質疑応答では、ジェンダー研究を専攻する研究者や学生から、西欧圏と日本のトランスの人々の意識の違いはどこから来るのか等の質問が相次いだ。自らが暮らしたことのある国々の間でも、社会のジェンダー多様性への認識や医療体制にはそれぞれ違いがあるとハートライン氏は述べたが、各国や地域の文化的背景や社会情勢に切り込んだ視点が今後の研究の進展の鍵となるであろう。両登壇者も述べたように、トランスの人々が世界中で心身ともに様々な困難に直面しているのも事実である。各国や地域で当事者たちがどのように居場所を確保していくのか、そして今後もどのような帰属意識を育んでいくのか、ノルウェー帰国後にもプロジェクトを継続するハートライン氏の研究成果が期待される。
 ジェンダー研究の専門家から、報告者のような一般の聴衆まで、最後まで興味深く傾聴できるセミナーであった。

記録担当:小林葵(学務課・全学非常勤講師室/外国語教育センター アカデミック・アシスタント)


《イベント詳細》
IGSセミナー「今日の日本におけるトランスジェンダー研究」
【日時】2024年2月20日(火)14:00~15:30
【会場】国際交流留学生プラザ2F多目的ホール
【司会】戸谷陽子 (お茶の水女子大学教授 ジェンダー研究所所長)
【研究報告】
フランス・ローズ・ハートライン(日本学術振興会ポスドクフェロー・お茶の水女子大学ジェンダー研究所研究協力員)
森田真梨子(お茶の水女子大学大学院人間発達科学専攻博士前期課程)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】英語(同時通訳なし)
【参加者数】35名