IGS通信

国際シンポジウム「デモクラシーのポスターガール」

国際シンポジウム「デモクラシーのポスターガール」

2017年6月2日、お茶の水女子大学にて、国際シンポジウム「デモクラシーのポスターガール:冷戦期日本のミスコン女王とファッションモデル」が開催された。本シンポジウムは、ラウラ・ネンツィ特別招聘教授の企画によるものである。ノースカロライナ大学チャペルヒル校のジャン・バーズレイ教授を基調講演に、上智大学のMary A.Knighton教授と本学の坂本佳鶴恵教授をコメンテーターとして迎え、冷戦期の政治的、文化的背景の中でのビューティー・コンテストの社会的影響とジェンダーの側面、そしてそれが現代にどうつながっているのかについての議論が展開された。

ジャン・バーズレイ氏の基調講演では、まず、1950年代以降に盛んになったビューティー・コンテストが、冷戦下の国際社会における政治および経済的戦略の一部であったことが明らかにされた。特にアメリカにおける国際コンテストは、パクス・アメリカーナ(超大国アメリカの覇権による世界平和)とアメリカの商業力の華やかな宣伝であった。また、女性たちが自身の美を武器にステージに立つコンテスト形式は、女性たちのエンパワメントのためのプロジェクトとも見られていた。特に水着審査では、皆が同じシンプルな水着を着用することで、「自由で現代的な」女性の身体が表現された。

1953年のミス・ユニバース大会では、ミス日本の伊東絹子が3位入賞となり、国内メディアは伊東が日本に栄冠をもたらしたことを称賛した。帰国後の伊東はファッションモデルとして人気を高めたが、それがいつまでも続いたわけではない。身長と気位の高さが日本にそぐわないというようなことを言われ、現代的として評価を得ていた面が、一転してアメリカ化の危険性を象徴するものと見做されるようになった。

1959年に児島明子がミス・ユニバースで優勝した際も同様に、賞賛からバッシングへの推移が見られた。海外で日本人女性がもてはやされることは、日本人男性にとっては劣等感を抱かせることにもつながっており、ミスコンテストでの日本代表の成功は、同時に、女性性と男性性といった、既存のジェンダー概念を大きく揺さぶる出来事であった。

平成時代においても、ビューティー・コンテストは盛んに開催されている。優勝者が、「日本人らしくなさ」を理由にたたかれることはいまだにあり、また、ミックス・ヘリテージ(混血)の女性が国代表を務めることへの異議も声高に唱えられている。とはいえ、平成クイーンたちは、冷戦期のクイーンたちよりも積極的に大望を語り、そこにプライドを持ち、他の女性たちにも、積極的に社会活動に参加するよう呼び掛けている。

しかし、参加女性にとってはエンパワメントとなるコンテストであっても、その他の女性たちのエンパワメントを前進させる社会的装置にはなっていない。また、ビューティー・コンテストが、女性を見世物にし、画一的な美の基準を押し付ける場であるというフェミニズムからの批判は、初期から今に至るまで聞かれている。華やかな舞台の後ろには、政治、経済、文化や社会課題を含む、複雑な背景があるのだ。

Knighton氏のコメントでは、軍事、バービー人形、ページェントと抗議という3点に焦点が当てられた。軍事の面では、冷戦期が戦後という時代であり、敗戦とアメリカによる占領や政治的指導、基地の存在、アメリカが東および東南アジアで行った戦争により日本が経済的利益を得たことが、日本人男性の自信喪失と委縮をもたらし、その反面で、女性は人権とセクシュアリティや消費の面での自由と解放を手にしたという議論が紹介された。アメリカに従属する日本、そしてアメリカ人男性と日本人女性という組み合わせから、戦後の日米関係を日本のフェミニン化という比喩で分析する議論もあり、ジェンダー構造としてみることも出来る。

次に、バービー人形については、これがビューティー・コンテストで評価される体形のモデルであることが示された。バービーにはケンというボーイフレンドがいるが、むしろ軍人をモデルにしたGIジョーの方が、文化的なカウンターパートであり、軍事的な男らしさと、完璧な身体の主婦という組み合わせが、当時のアメリカ社会の理想となっていた。リカちゃん人形は、日本版バービーであり、このモデルとなったのが、白人男性の父と日本人の母を持つ、いわゆる日本人離れした容姿を持つ少女であったことは、前出の日米の軍事的ジェンダー関係と表裏一体であるといえる。

最後に、ビューティー・コンテストのページェントのように、女性が華やかに装って公の場にでることと、女性運動の親和性が解説された。女性がステージ中央に立つだけでトラブルメーカとされた時代であった1913年、ワシントンDCの女性参政権デモで、アイネズ・ミルホランドは、白いドレスを着て白い馬に乗るという目立つ装いで行進をリードした。これは、ジャンヌ・ダルクを模した行動である。近年、トランプ政権に反対する女性たちが、そろいのピンクのプッシーハットを被って行進したのも、これに連なる、ファッションを社会運動の象徴として使った例である。女性がステージに堂々と立って自分を表現することの意義が、こうした歴史を振り返ることからもうかがえる。

これに続く坂本氏のコメントでは、日本におけるビューティ・クイーン・バッシングとミスコンテスト批判、そして美智子妃報道についての分析が示された。まず、1950年代のバッシングの背景には、先進国の男性と発展途上国の女性という組み合わせが、国同士の上下関係の中で、途上国の男性が抱くアメリカへの憧れと嫉妬の混じった感情があるとみることが出来る。しかし、日本がアメリカと肩を並べる先進国とみられるようになった2000年代のビューティ・クイーンたちへのバッシングには、同じように見えて違う点があるのではないか。ミスコンテスト参加にむけ女性美を目指すことは、最初は社会のジェンダー規範とは対立せず称賛されるが、ミスコン・クイーンたちがその成果をモデル業など仕事に活用していくと、結婚して家庭にはいるという規範と矛盾していく。このため、保守的な女性たちからは裏切りと見做される可能性がある。また、西洋化には排外主義的な反発もあると思われ、2000年代のバッシングには、こうした要素のほうが強いのではないかという分析である。

ミスコンテストへのフェミニストからの批判では、男性が決める基準により女性が査定されることのほか、生まれながらの美という生得的属性が審査対象となること、また、他の能力よりも美という基準が優先されることが問題視されてきた。しかし、今日の多様化したコンテストでは、美以外の個性や工夫が審査対象となったり、ミスコンテストですら美を獲得するための努力の必要性が強調され、業績的価値が評価されるように変化してきていると理解できる。

美智子妃報道については、以前は皇室女性は外見や流行にこだわらないことが強調されていたのに対し、婦人雑誌が美智子妃のファッションを取り上げるなどの変化がある。皇室女性を、母、専業主婦、おしゃれをする女性の手本にするという、新たな位置づけが見られるようになった。こうしたことからも、1950~60年代が戦後の女性のエンパワメントの始まりであったことがわかるが、同時に、現代は、そこからも大きな変化を遂げているのではないかとの示唆で、コメントは締めくくられた。

続く質疑応答においても、現代のミスコンを巡る討論が続き、全体を通して充実した議論が展開された。また開演前に、客席を歩いて聴衆のひとりひとりに声を掛けるバーズレイ氏の姿がとても印象的であった。そこで言葉を交わすことで、聴衆も、教授その人とシンポジウムへの興味が高められたことと思われる。そのバーズレイ氏を、2018年度にジェンダー研究所の特別招聘教授として迎えることが決定しており、本シンポジウムテーマについて、さらに議論を深める機会を持つことが期待される。

 

記録担当:吉原公美(IGS特任リサーチフェロー)

【日時】2017年6月2日(金)18:30~20:30
【会場】本館共通講義棟2号棟101室
【コーディネーター】
ラウラ・ネンツィ(IGS特別招聘教授/テネシー大学教授・米)
【基調講演】
ジャン・バーズレイ(ノースカロライナ大学チャペルヒル教授・米)
【ディスカッサント】
Mary A. Knighton(青山学院大学教授)
坂本佳鶴恵(お茶の水女子大学教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日英(同時通訳)
【参加者数】86名
【成果刊行】IGS Project Series 15