IGSセミナー報告「フェミニスト視点からのグローバル化とディスロケーション:サスキア・サッセンとの対話」
2018年10月15日、コロンビア大学のサスキア・サッセン教授をお迎えし、セミナー「フェミニスト視点からのグローバル化とディスロケーション:サスキア・サッセンとの対話」が開催された。
最初にサスキア・サッセン氏は、女子大学で開催されるこのセミナーが、自著『グローバル資本主義と〈放逐〉の論理』(以下『放逐』)と『領土・権威・諸権利』で扱った、しばしば男性に紐付けられ明示的には「女性の」問題とされない主題を議論する重要性を強調した。
サッセン氏のいう放逐は1980年代に始まった変化のなかで、深刻で極端であるがゆえに可視化された、新たな状況を示す概念であるという。不平等や排除というカテゴリーで理解可能な事象は以前から継続しているが、それらの既存概念では不十分な事態があるのだという。放逐概念を理解するために最初に挙げられた二例は、具体的には米国の状況を念頭においたもので、一つ目は、〈死んだ土地(dead land)〉や〈死んだ⽔(dead water)〉としかいえない、生き返らせることのできない⽔準にまで、環境が破壊しつくされているという問題である。もう一つの事例は法律や制度の規定するシステムの内部で、人びとが実質的に放逐されている問題である。たとえば雇用されておらず現に生活を⽀える収⼊がないが失業者としては法制度上いない人がいる。失業給付を受けけられる期間をこえた後も失業状態であったとしてもその人は統計上失業者のリストから外されてしまうのだ。こうした体制内部の微細な放逐の累積を認識することは、自国を無謬であるかのように振る舞う米国のような国にとって、とくに重要であるという。
セミナーで最も時間をかけて語られたのは、2007~8年⾦融危機で多くの人びとが知ることとなった住宅ローン問題についてである。いまや住宅は人間の住む建物としてではなく、マテリアルな資産として認識されそれが担保となってローン契約が証券化され、⾦融システムの回路に取り込まれ循環するなかで、あまりにも多くの、そこに住む人びとを文字通り外へたたき出してしまった。これは伝統的な銀行が顧客の次世代に続く繁栄を望んで⻑期ローンを貸付けていた時代とは完全に異なる。住宅ローンの貸付業者はまず契約完了を稼ぎ、そうした契約の束を⾦融工学のアルゴリズミック的数学が証券化する。その証券はマテリアルな住宅資産に担保されているがゆえに価値を持つが、これまでわたしたちが理解してきたようなミクロ経済学の枠組みとは別次元の、アルゴリズミック的数学が介在する経済だ。
サッセン氏のレクチャー後、三人の研究者からコメントをいただき、活発なディスカッションがおこなわれた。堀芳枝氏(獨協大学)は、フィリピンでのフィールドワークを踏まえ、企業の本社機能が集中するグローバル・シティ(GC)が特徴とし必要とする生産者サービスが、ビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)を通じて、GCの外へと拡散する可能性を示唆した。これに対しサッセン氏は、GCをGCならしめているものは、かつて⽀配的な存在であった企業群でも、これまでからずっとあった低賃⾦労働でもなく、ネットワーク化された知識へのアクセスであると強調する。そうした中間的な産業を各企業が自社内に囲いこまないのは、そうした中間セクターが非常に国際的で競争的でありながら、ネットワーク化されGCという場所に集積して存在しているからに他ならない。
大野聖良氏(IGS特任リサーチフェロー)は、日本の移⺠政策と人身売買にかんする言説を分析し、移⺠⼥性の人身売買被害者が不可視化されてきた歴史を踏まえたうえで、国連の人身売買被害者⽀援の枠組みが日本国内の政策に翻訳され適用される過程においてNGOの「排除」と当事者の「放逐」がみられることを指摘した。また大野氏は、日本語翻訳にある「放逐されたもののスペース(the space of the expelled)」をある種希望のある言葉として読んでいたという。この解釈に対しサッセン氏はその句が、放逐されたあとにも身体が存在することが考慮されていないからこその問題を提議していると述べ、著書『放逐』が冷酷な現実の提示をその使命としている点を明確にした。
本山央⼦氏(お茶の⽔⼥⼦大学院)は、自然環境を含め人間と社会の再生産にかんする問題が放逐の起こる場であからさまに置き去りにされている点を指摘し、また国際的な安全保障や軍事的暴力と、政治経済を接続する方法を探していると述べた。議論のなかでサッセン氏は、現状の広範に浸透している監視や権利主体の分解的な所有へ抗う、概念的なプロジェクトとして、再ローカル化(端的には多国籍企業の力をかりないこと)と〈グラウンド(ground)〉を挙げていた。〈グラウンド〉は実質的な責任と権威的な選択をともない、米国であれば即座に軍事的な含意を想起させる言葉というが、それでもなお、監視されることのない、わたしの〈グラウンド〉といえる場を拡げていく試みには希望を見いだしうるという。
レクチャーの最後で、サッセン氏は、大きな変化が必ずしも可視的とは限らないと述べた。1970~80年代、都市は貧困化し荒廃しもう終わりだという言説が⽀配的であった。しかしグローバリゼーションとデジタル化が進むなかで、偉い専門家たちには見えていない、新しい経済はすでにあったのだ。それは、昼間ウォール街を仕切っていると豪語する人たちには見えずとも、外国人としてニューヨークに来たサッセン氏が清掃労働者たちに案内された真夜中のビルに確かに息づいていた。既存のカテゴリーでは、その多くが⼥性である当の清掃員たちは存在しないことになっていたにもかかわらず。そこには、サッセン氏がいう、フェミニスト研究に携わる、あるいはフェミニスト的角度から研究の営みに携わるひとたちに通じる、自由とその人自身の経験がもたらす深い知識があるのだ。不可視であってもその存在を見抜き、可視であるものがなぜ見えているのかを探ることの鍵が、そこにあるのかもしれない。
記録担当:janis
《参考書籍》 |
『グローバル資本主義と〈放逐〉の論理:不可視化されゆく人々と空間』 サスキア・サッセン 著 明石書店 2017年4月刊 |
『領土・権威・諸権利:グローバリゼーション・スタディーズの現在』 サスキア・サッセン 著 明石書店 2011年4月刊 |
《イベント詳細》 【日時】2018年10月15日(月)10:00〜14:00 |