IGS通信

セミナー「J.S.ミルにおけるデモクラシーと⼥性参政権」

IGSセミナー報告「J.S.ミルにおけるデモクラシーと⼥性参政権」

2019年10月7日(月)に、IGSセミナー「J.S.ミルにおけるデモクラシーと⼥性参政権」を開催した。報告者の山尾忠弘氏(慶應義塾大学・院)からは、19世紀ブリテン社会を生きたミルが直面した、⿊人と⼥性の奴隷的境遇について、デモクラシーと⼥性参政権という観点からの報告があった。

ミルが、古代のアテナイにおいて男性有産市⺠だけが政治的主体としてみなされていたことを踏まえつつ、「皮膚の貴族制と性の貴族制(the aristocracy of skin, and the aristocracy of sex)」という概念によって⼥性と⿊人の隷従の問題を考察したことが、報告の第1の柱であった。皮膚と性の貴族制についてミルが考えるようになったのは、1835年の論説「トクヴィルによるアメリカのデモクラシー論(1)」においてであるという。トクヴィルが考察したアメリカのデモクラシーにおいても、政治的・社会的権利を享受したのは白人男性のみで、⿊人と⼥性は隷属的状態に置かれているとミルは指摘していたとのことだった。

報告の2つ目の柱は、「二人のミル(two Mills)」論、すなわち『自由論』(1859)と『代議制統治論』(1861)のミルは異なる原理に基づいて議論を展開したという解釈に対して、近代の原則の貫徹という観点から整合的に理解できるとしたことであった。それは端的に、アテナイの⺠主制に一定の評価を与えつつも、それらが奴隷制に基づいていたことを批判し、古代と近代との断絶の意識とともに、ミルのデモクラシーと⼥性参政権に関する議論を読み解く必要があるという主張である。実際、ミルは『代議制統治論』で⼥性参政権を論じつつ、性の貴族制と皮膚の貴族制への批判を展開していたし、古代ギリシャにおいても見られた「力の法」による⼥性の隷属的境遇という問題は、『⼥性の隷従』において明確に批判されているという。

かくして、ミルは、近代の歴史を「力の法」に対する人間の闘いの歴史として捉え、不正な統治(力による支配)を受けないという意味での自由(消極的自由;自由主義的理想)の擁護から、⼥性や⿊人の権利について考察し、「人間はもはや、生まれによって境遇が決められたり、それに頑丈な鎖でつながれたりしてはおらず、自分が一番望ましいと思うことを実現するために、自分の能力や目の前の好機を自由に活かすことができるということ」が重要なのだということを、その思想的基礎に置いていたと整合的に理解できるという報告であった。

討論者の村田陽氏(同志社大学)からは、「二人のミル論」については『自由論』と『功利主義』におけるミルの違いを考慮すべきではないか、消極/積極的自由の枠組みではなく、ネオローマ的な自由=服従からの自由という観点からミルを捉えることができないか、古典古代をなぜミルは取り上げたのかも考えるべきではないかというコメントがあった。

もうひとりの討論者である平石耕氏(成蹊大学)からは、自由主義的な要素と共和主義的な要素との対立、つまり消極的(〜からの)自由を守るためには、積極的(〜への)自由をもたなければならないという点をミルの視点から捉え返すとどうなのか、また人格の陶冶を政治の領域(古典古代的)だけで考えていたのか、それともその他の領域、たとえば自由意志論の系譜で考えていたのか、人種や性別による差別について、能力の観点をミルが評価するとき、それが「真のデモクラシー」=人間だれしも平等であるという思想とどう整合的に理解できるのか、さらに文明の発展度がどのような形で⼥性の不平等の問題にかかわってくるのかといったことが指摘された。

山尾氏からの、自由主義と共和主義とが対立しているとは考えていないが、あえてその図式で読むとすれば、リベラルな観点からミルの思想的特徴を掴むのが適切ではないかというリプライをはじめ、少人数ながらフロアとの議論が活発に行なわれた。

記録担当:板井広明(IGS特任講師)

《イベント詳細》
IGSセミナー「J.S.ミルにおけるデモクラシーと⼥性参政権」

【日時】2019年10月7日(月)16:00〜18:30
【会場】国際交流留学生プラザ3階301セミナー室
【司会】板井広明(IGS特任講師)
【報告】
山尾忠弘(慶應義塾大学・院)「J.S.ミルにおけるデモクラシーと⼥性参政権」
【討論者】
村田陽(同志社大学助教)
平石耕(成蹊大学教授)
【参加者数】10名