IGSセミナー「『家事労働の国際社会学』を読む」
まず編著者の伊藤氏は、本書がグローバルな問題としての有償家事労働を主題として編まれ、アジアや欧米の各国・地域における有償家事労働の現状と移住家事労働者の処遇や組織化、ILOの第189号条約(「家事労働者のためのディーセント・ワーク条約」)が及ぼすインパクトを明らかにするものであるとした。また「方法論的ナショナリズム」を相対化する国際社会学のアプローチを基盤とし、地域研究の知見にもとづきながら、主にナショナルな政策的側面から議論されてきた既存の移住家事労働者研究を、地域的文脈に埋め戻し(re-embed)、越境的な現象の地域への影響の動態をとらえるものでもあるとした。
評者による講評では、まず足立眞理子氏が金融化と再生産領域の労働との接合を背景とし、新自由主義的な労働への対抗としてのディーセント・ワーク論や労働者性が着目されていると指摘した。また家事労働の問題はインフォーマル化・ジェンダー化され、移住家事労働者の場合には越境性によって不可視化されもするとしながら、家事労働者の「労働者性とは何か」が問い直されていると強調した。さらに「技能化」が進むことによる序列化への深刻な影響、技能の高度化がもたらす「労働者性」のさらなる不可視化の問題を提起した。
次に伊田久美子氏は、家事労働はジェンダー・階級・エスニシティの交差領域において労働そのものを問い直すイシューであると位置づけながら、階級社会における「不自由民による不自由な労働」とされてきたため、家事労働者の「労働者性」が無視されてきたことを指摘した。たとえ「技能化」やディーセント・ワークが実現したとしても、スティグマ性の克服や運動の組織化は難しく、そもそも家事労働自体の定義を転換することが求められるという。そして家事労働者の運動とフェミニズム運動との接合について問いを提示した。
これを受けて編者及び執筆者全員により、主に「労働者性」や労働概念、「技能化」と序列化の問題、そして「フェミニズム運動と家事労働者運動の交差」について回答がなされた。
日本(第1章定松文氏)の場合、「労働者性」は所属と従属関係によって定義されてきたために再生産労働が不可視化されてきたことが指摘され、有償/無償家事労働において「技能化」には慎重な議論が求められるとした。フィリピン(第2章小ヶ谷千穂氏)ではILOの第189号条約が批准され国内法が整備された後であっても、国内家事労働者の「労働者性」への認識は不十分であり、必ずしも労働者に権利として作用していないという。一方インドネシア(第3章平野恵子氏)では条約の国内法は未だ成立していないものの、家事労働者が自ら権利向上のために積極的に技能を学び「労働者性」を主張しているという。その反面台湾(第5章巣内尚子氏)では、「技能化」とは対極にある「逃げる」行為によって、逆説的に「労働者性」を得られたことが報告された。まさに家事労働者の「技能化」が強調されることによる序列化への影響が指摘された。しかしながら、イタリア(第8章宮崎理枝氏)では移住家事労働者には非正規滞在者が多いという社会的背景から、「技能化」は人権擁護や市民権の議論において重要であり、さらにフランス(第7章伊藤るり氏)でも、「資格化」は移住者にとって家事労働者としての地位を証明し雇用条件の交渉等で重要だという。このように「技能化」は序列化をもたらす一方で、移住者の尊厳ある労働を実現するために欠かせないものともいえ、彼らの中には独自の論理があることも指摘された。そして、上記の回答を受け、そもそも「能力」や「技能」とは何かという根源的な議論へと展開し、「技能化」の前提となる「能力」とは測るものではなく、すでに労働の中に埋め込まれているという指摘(第10章小井土彰宏氏)がなされた。また森千香子氏(第11章)は、ナニー(保育労働者)たちの「能力」とは職務遂行のスキルだけを意味しないと述べ、複数の雇用主家族間を結び付けながら「ケアの共同性」を生み出す力も含め「能力」であるという見解を示した。このようなケアのあり方は、新自由主義的なケア概念に対抗し、ケアを脱個人化していく動きとしてもとらえることができると強調した。
次に「フェミニズム運動と家事労働運動の交差性」について、アジアではミドルクラス以上のフェミニストたちが家事労働者の雇用主であることから、これまで家事労働者の権利向上に対する取り組みにほぼ参加してこなかったという。例えば家事労働を含めた労働運動が非常に盛んである香港において、現在もフェミニストたちの参加は見られない(第4章大橋史恵氏)。しかしごく最近になり、インドネシアのフェミニストたちは「私たちも応援する用意がある」と協力を表明し、変化の萌芽的段階にあることも指摘された。一方ヨーロッパでは、雇用する側でもあるフェミニストたちが、長年にわたり労働運動の中で積極的に家事労働および移住家事労働者の権利運動を行っていることが報告された。フェミニストたちは、EU内の労働組合やNGO団体において、家事労働に関する様々な決議がなされる重要な局面に関わってきた(第6章中力えり氏)。また労働組合の女性部や移住者の担当局は、家事労働は労働であるという明確な意識を持ちながら、移住女性たちによる家事労働を重要な労働として認識するべきであると議論を積み重ねてきた(第9章篠崎香子氏)という。
最後にフロアからは「技能化」の議論に関し、職業に関わる技術や知識を獲得して専門職性を持つことが、かえって労働条件の交渉をしづらくしている実態があるという指摘など多くの意見や質問が寄せられ、参加者の関心の高さがうかがえた。
記録担当:大野恵理
(神奈川大学非常勤講師)
《イベント詳細》 |