IGSシンポジウム報告「なぜアメリカで女性大統領は誕生しなかったのか?」
メリッサ・デックマン氏(米ワシントン・カレッジ)は、女性有権者の投票行動を分析し、ジェンダーが与えた影響を検討した。
アメリカでは1980年代以来、女性は民主党、男性は共和党候補への支持に傾く「ジェンダー・ギャップ」の存在が知られていた。今回、クリントンが初の女性大統領候補として「ガラスの天井」を打ち破るかどうかとともに、トランプの女性蔑視発言や性的ハラスメントが注目され、ジェンダー・ギャップはさらに大きくなることが予想されていた。
しかし蓋を開けてみると、投票行動に大きな変化は見られなかったという。実際、有権者の3分の1は、トランプの女性差別発言を問題視せず、その多くはトランプに投票することになった。
むしろ大きな説明力を持ったのは、今回も党派性であった。もともと共和党支持の女性たちの85%はトランプに投票しており、中絶や経済政策、移民、国家安全保障などの主要な争点についても、ほぼトランプ候補の政策に近い考え方を持っていた。一方で、無党派層の男性が圧倒的にトランプに投票したという事実は興味深い。女性の中でも人種、階級、婚姻状態による多様性は大きく、白人、既婚、教育程度の低い女性はトランプ候補に投票する傾向にあった。ジェンダーがあたえた影響は限定的であったといえる。
一方、ジュリー・ドーラン氏(米マカレスター・カレッジ)は、メディア報道における「ダブルバインド」に焦点を当てた。これは、女性候補者は十分な男らしさを示す必要があるが、男らしくありすぎてもならず、適度に女らしさも示さなくてはならないという、矛盾した要求を表す概念である。
米国の主要メディアはことごとくクリントン支持を表明していたが、ドーラン氏は、実際にはクリントンに不利なジェンダー化されたステレオタイプが流布され、有権者もそのように反応したと主張した。
そうした偏見のひとつは、クリントン候補が「腐敗している」という見方である。実際にはトランプこそが嘘の主張を繰り返していたにも関わらず、女性は男性よりも正直であることが期待されるがゆえに、両候補は同じ程度にネガティブに報道されたという。男性の候補は品格がなく思いやりに欠けるふるまいをしても許される一方で、そもそも男性のものと見なされる公職に立候補する女性だけが、ジェンダー化された矛盾した要求に引き裂かれ続けることになるのである。
シンポジウム後半では、申琪榮氏(お茶の水女子大学)のファシリテーションで、さらに広い観点からディスカッションが行われた。
武田宏子氏(名古屋大)は、誰が「女性」を代表しうるのかという興味深いコメントを投げかけた。矛盾するジェンダーの要求に直面したクリントンは、「男性のように」有能であることを示すあまり、より弱い立場にある女性の利害を必ずしも守ってきたわけではない。このことはフェミニストの間にも、クリントンを「私たちの代表」として支持すべきかどうかをめぐって対立をもたらすことになった。
また今回の大統領選では、「ポスト真実」という言葉に表されるように、既成メディアと既成政治家への不信、党派性による分裂とそれをさらに強化する新メディア、全体的な右傾化と中道左派のアイデンティティの揺らぎなど、多くの問題が浮上したことも議論された。議会制民主主義を脅かすこれらの問題の多くは日本にも共通している。異なる人々と対立・排除する政治ではなく、対話と包摂にもとづく政治へと再生をはかるには、従来のやり方と異なる政治の実践や制度が必要とされているようである。
今回のシンポジウムで明らかになったことのひとつは、ジェンダーが選挙戦をかたちづくる重要な要素のひとつであったこと、しかしジェンダー分析だけでは不十分ということだろう。今後、ジェンダーと他の要因とのクロス分析に基づく米大統領選のさらに詳細な分析が待たれるところである。フェミニスト分析もまた、女性差別や性暴力など「女性に共通の」政策領域だけに関心を集中させていてはならないだろう。ジェンダーと他要素との相互関係を見ながら、今起きている大きな政治的変化の過程について、より深い探求を進めていく必要が実感された。
報告:本山央子(大学院博士後期課程 ジェンダー学際研究専攻)
【日時】2017年3月18日(土)13:30~17:00
【会場】お茶の水女子大学共通講義棟1号館 304号室
【総合司会】申琪榮(お茶の水女子大学)
【参加者数】136名
【共催】お茶の水女子大学ジェンダー研究所(IGS)、日米女性政治学者シンポジウム(JAWS)
【後援】明治大学ジェンダーセンター
猪崎弥生
大海篤子
申 琪榮
田中洋美
メリッサ・デックマン
ジュリー・ドーラン
武田 宏子