IGSセミナー(生殖領域シリーズ2)「中東イスラーム諸国における不妊と生殖医療:エジプトとイランを例に」
2017年10月11日(水)、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科棟408室にて、IGSセミナー「中東イスラーム諸国における不妊と生殖医療:エジプトとイランを例に」(生殖領域シリーズ2)を開催した。このセミナーでは、中東イスラーム諸国における不妊と生殖医療をテーマに「科学研究費Aイスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合研究」のプロジェクトメンバーである、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の細谷幸子氏と、日本学術振興会特別研究員の鳥山純子氏の二人に、それぞれイラン・イスラーム共和国(イラン)とエジプトの事例について報告してもらった。
中東イスラーム諸国でも、不妊は男女を問わず深刻な問題であり、不妊治療は不妊カップルの希望の医療として、急速に普及してきている。イスラームはスンナ派とシーア派の二つに大きく分けることができるが、スンナ派ムスリムが多数を占める国では、文化的、宗教的理由から、提供精子・提供卵子・胚提供・代理出産など第三者のかかわる生殖医療を禁止している。一方、シーア派は、生殖医療に寛容の傾向がある。そこで、本セミナーでは、シーアを国教とするイランの事例について細谷氏にご報告いただき、スンナを国教とするエジプトの事例について鳥山氏にご報告いただいた。
シーア派が多数を占めるイランでは、2003年に成立した「不妊夫婦に対する胚提供の方法に関する法」を軸に、第三者がかかわる生殖医療を合法化する方針がとられてきた。イランは2011年に合計特殊出生率が1.6で、2012年からの多産を奨励する政策のもと、生殖医療も推進され、2016年からは生殖補助医療を国立病院で受けた場合、85%も公的負担されている。また、イランでは結婚し、子を産み育てることが宗教的な義務である。Kazenらの報告ではイランの2割強の既婚女性が一人目不妊の経験があると推測され、不妊の場合、女性は非難を受けやすい。重婚が認められているイランでは、子どもができなければ、妻は夫が別の女性と結婚するかもしれないことを心配し、不妊を理由に離婚されることもある。
第三者から提供された精子・卵子の利用については、スンナ派では姦通罪に当たるとしているが、シーア派のイスラーム法学者(アーヤトッラー)の最高指導者、ハーメネイー師は、これを合法化した。ハーメネイー師のファトアー(教令)によれば、精子や卵子の提供は、性交渉という身体的な行為が介在せず、(男女間に不法の)接触と視線がなければ姦通にはならないと解釈しているからである。しかし、第三者からの提供に抵抗を持つカップルは、提供卵子を使う場合、男性には重婚が認められているので、夫が卵子ドナーと性交渉を伴わない一時婚契約を結び、卵子提供を受ける場合もある。精子提供については、さらに手続きは複雑で、一度夫婦は離婚し、3か月の待婚期間を経て、妻が精子提供者と性交渉のない一時婚契約を交わし、提供された精子と女性の卵子で胚を作って、一時婚を解消して、待婚期間を経て元の夫と再婚する。しかし受精卵の授受については、養子と同様にみなされるため、複雑な手続きはなく、提供精子や提供卵子よりも受け入れやすいと考える者もいる。
このように、イランでは第三者から提供された精子・卵子の使用については容認されているが、子の出生後もドナーの匿名性が貫かれる。いずれにしても、イランではイスラーム法の概念を使って議論がなされているが、現代的な状況にあうファトアーを引き出す努力なされている点が興味深い。
スンナが多勢を占めるエジプトも、子どもを持つことを重視する社会であり、2017年7月現在、世界15位の人口を有し、合計特殊出生率も3.33である。また若年結婚が多く、20代既婚女性の94.1%に出産経験があり、子どもの有無によって女性の価値が変わる社会といえる。そのため、近年、エジプト都市部では、将来的な妊娠・出産を意識して、未婚の女性が産婦人科に通院することが流行しているという。未婚女性は産婦人科で検査を受けるのみならず、卵管の通りをよくするために、妊娠準備として卵管の通気・通水検査を受ける女性も少なくない。当然、エジプトでも不妊は深刻な問題であり、子どもができない場合には、子を授かるためのさまざまな方法が実践される。その中には夫を性交に誘うテクニックから、妊娠しやすい食事や精力増強のための食べ物やサプリメントの情報入手、そして医療機関での相談や投薬相談など(特に薬局がその役割の多くを担っている)、さまざまな方法がある。また、エジプトでは「ムシャハラ」(目には見えないつきもの)が付くと、不妊になると信じられている。不妊の女性と接触したり、妬みを持つ女に接触した場合に、ムシャハラがつき、能力の劣っている女性がムシャハラに憑りつかれやすいと信じられているため、ムシャハラを避けるために、不妊女性は忌み嫌われる傾向がある。
エジプトでも生殖医療は重要な役目を果たしているが、第三者のかかわる生殖医療は実施されていない。しかしそれはスンナ派の最高指導者アズハルが出しているファトワーで禁止されているからというよりも、産婦人科学会によるガイドラインで禁止しているために実施されないという考え方が有力である。また、近年、エジプトでは子を出産・育児を商品化する傾向があり、不妊治療でお金をかけて授かった子のほうが価値があるという考え方が広まっている。そして、その子を私立の学校に入れて、学力の優れた子に育てることで、母親の価値がさらに増すと考えられている。このような社会の中で、女性のステータスを維持するために、不妊治療が重要な役割を果たしている。
日本でイスラーム諸国の生殖医療の状況について知る機会は多くなく、子を持つことを当然とするイスラーム社会であっても、スンナ派とシーア派によって、生殖医療の受け入れ方に違いがみられる点は面白い。また、日本や欧米諸国よりも、子どもができないことが特に女性の価値をも左右する文化ではあるが、もし男性不妊の場合には、どのような対応がとられるのかが気になった。
(記録担当:仙波由加里 IGS特任リサーチフェロー)
《開催詳細》
【日時】2017年10月11日(水)18:30~20:30
【会場】人間文化創成科学研究科棟408室
【司会】仙波由加里(IGS特任リサーチフェロー)
【報告】
細谷幸子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所フェロー)
「イランにおける生殖補助医療をめぐる議論と実践」
鳥山純子(日本学術振興会特別研究員、桜美林大学特別研究員)
「生殖補助医療を求める女性たち:性、生殖、医療の交差点から見た現代カイロ」
【主催】ジェンダー研究所
【参加者数】20名