IGSセミナー報告「性と『ほんとうの私』ナラティヴとしての⽣物学的本質主義」
2018年2⽉28⽇、筒井晴⾹⽒(東京⼤学⼤学院医学系研究科医療倫理学分野特任研究員)を招いて、IGSセミナー「性と「ほんとうの私」:ナラティヴとしての⽣物学的本質主義」を開催した。
司会を板井広明(IGS特任講師)が務め、企画趣旨として、「男は/⼥は⽣まれつき○○だ」といった、性に関する「⽣物学的本質主義」の⾔説が、ポピュラー科学などさまざまな形で現れ、そのつど批判を受けつつも⾼い関⼼を集めてきたことをテーマとした。
まず「脳や認知・能⼒の性差に関する通俗的⾔説の問題点」として、性差が⽣物学な、脳の差異によって、男⼥の認知や能⼒の違いが説明される俗説に対して、男⼥での⾝⻑差といった統計的に優位な差が具体的な社会状況において、どのような意味で違いを⽣むのかはいまだよくわかっていないため、拙速であると指摘があった。また脳梁の性差が男⼥の性差に繋がるという議論については、脳梁の性差⾃体に否定的な議論があることも紹介された。
そもそも脳は環境や経験により変化するという可塑性が認められているため、差の要因は⽣得的なものに還元できないし、「『⼥性は男性より数学が不得意』というステレオタイプの共通認識⾃体が数学の成績の男⼥差に影響」するという⼼理的効果も⾒られる。
脳の性差については、元論⽂の内容がプレスリリース→個⼈ブログ→ネット上のコメントと情報伝達される中で、「男⼥の脳にはそれぞれ適性のある能⼒が「組み込まれている」といった差の⽣得性に関する内容が付け加えられ、元の研究がそれらのことを証明したかのように語られていく」といったメディア分析も⽰された。
このように「⽣物学的本質」の枠組みには、①認識主観の活動に先⽴ち、対象それ⾃⾝に帰属する属性である、②対象をそのものたらしめるという特権的な価値をもつ属性であるという⼆重の意味での本質概念が据えられているという。当⼈の⾃律的で再帰的な⾃⼰認識に対して、当⼈の属性の⽣物学的な本質から、当⼈のあり⽅を決めつけられることへの苛⽴ちがあるのではないかとも指摘があった。
しかし⼀⽅で、「脳が疲れた」といった表現に現れているように、⽇常⽣活での⾃⼰語りが医学―⽣物学的概念を流⽤したものになっていることに注意が促された。これは⽣物学的な科学的説明ではなく、物語的説明として捉え返すことで、常には理性的に振る舞えない⼈間がそうした現実を受容するための⽅便になっているのではないかという。
さらにトランスジェンダーや性別違和についても⾔及があり、医療化現象との関連が指摘されたあと、いわゆる「⼼の性」とは何なのかが問われた。それは上でいう⾃⼰や他者についての物語と捉えていくことで、当事者の切迫した苦痛や動機の把握に繋がる反⾯、性の揺らぎや変化を考慮しない点で問題があるとも⾔える。
その上で、「⽣物学的本質」に訴えた⾃⼰物語は「⾃⼰コントロールの困難さに折り合いをつける」意義があるものの、⽣物学的本質に⽴つことの問題は残り続けるので、「浦河べてるの家」で実践されている、当事者が⾃ら病名をつける「⾃⼰病名」に⼀つの可能性があるという。
このような実践において、関係的⾃律性という概念を通して考えることの有意義さとして、内的な⾃⼰統御という場⾯だけでなく、外的な⾃⼰決定の条件と⾃⼰権威化を考えることの重要性が指摘された。⾃⼰病名はいわば⾃⼰権威化の側⾯であり、「専⾨知の借⽤とそこから意味をずらし、共同的な探求による物語の相互承認といった特徴により、⼈が⾃ら⾃⼰について探求し、⾃⼰物語を語る権威を担保している」ことは、クィアなジェンダー表現(病気ではなく、⽣き⽅として)にも同様の可能性を提供するだろうとのことだった。
講演の後の質疑応答では、現実の性的マイノリティのアイデンティティ戦略や、⽣物学的本質が社会的構築物であることの内実などについて、議論が⾏なわれた。⽣物学的本質主義に基づく議論を丁寧に腑分けして、その上で、よりよき認識へと⾄る道筋が⽰された有意義なセミナーだった。
記録担当:板井広明(IGS特任講師)
《イベント詳細》 【⽇時】2017年2⽉28⽇(⽔)15:00〜17:30 |