IGSセミナー報告「合評会:倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー:90年代保守言説のメディア文化』」(東アジアにおけるジェンダーと政治研究プロジェクト①)
2018年6月5日、『歴史修正主義とサブカルチャー』の著者、倉橋耕平氏をお招きしてIGSセミナー「合評会:倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー:90年代保守言説のメディア文化』」を開いた。著者の報告の後に、富永京子氏(立命館大学)と本山央子氏(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)からコメントをもらった。
写真左から:本山央子・富永京子(コメンテーター)、倉橋耕平(報告者)、申琪榮(司会者)
倉橋氏からは『歴史修正主義とサブカルチャー』出版の背景や出版後の状況などについて報告してもらった。同書のコンセプトとしては、批判が批判として通用しない現状の分析をする際に、「何が語られているか」「誰が行なっているか」「どんなイデオロギーか」ではなく、「どこで/どのように語られているか」「どのような拡散の方法なのか」「どのような知を形成していったのか」という形で問いの転換を行ない、「参加型文化としての歴史修正主義」という特徴をメディア文化の消費者行動という視点から、従来のアカデミアが取り上げてこなかった「文化」を文化として観察・分析するというのが狙いであったという。
出版後の反響としては、twitterで話題になったことやネット書店での反響があったことが分析した結果との関連で興味深いことだった。著書への批判として、「サブカルチャー」概念の扱いや、歴史修正主義が「上から」作られた側面を捨象しているのではないかといった点などが挙げられた。Amazonレビューでは、内容を読まずに書かれた感想が目⽴ったとのことだった。
課題として、また議論したい問いとしては、以下のものが挙げられた。1990年代よりも前の状況と比較して、通史的な部分で捉えた時に「歴史修正主義とサブカルチャー」はどのような問題となるのか、1990年代の自⺠党を引き継いだ現在の自⺠党とサブカルチャーと右傾化する政治の共振関係とはどれくらいのものなのか、歴史修正主義がミソジニー的な傾向をもつのはなぜかといった点である。
コメンテーターの本山氏からは、学術界と運動界をつなぎフェミニストのメディアを制作してきた⽴場からということで、特有の枠組みによって編成される集合知としての歴史修正主義、歴史修正主義のシリアスなファンの存在、政治権力の圧力を受けたメディア文化市場、学術知とアマチュアリズムとが対⽴的だった知の在りようの変化、「慰安婦」問題に象徴的な、フェミニストの異議申し⽴てと近代的知に対するパラダイム転換のプロジェクト、歴史修正主義の主体化戦略とネオリベラリズムとの親和性などが指摘された。
もう一人のコメンテーター、富永氏からは各章へのコメントがされつつ、「歴史修正主義」について、政治と社会運動を切り離して論じた稀有な研究であり、また歴史修正主義を⽀えた雑誌投稿(欄)について、「投稿が読者共同体を作り出す一方で、投稿者同士の競争のもとで編集者に認められるという構造がある、きわめて「マッチョ」な側面を持つ文化でもある」として、ミソジニーの傾向は投稿という活動にも当てはまるのではないかとの示唆があった。
なお、倉橋氏がサブカルチャーを「下位文化」「商業性」と捉えるのに対して、富永氏は「カウンターカルチャー」としてサブカルチャーを捉えているという相違があり、倉橋氏が用いる分析枠組みは当事者らの用法に依拠しており、学術的な文化研究のための概念ではない点で疑問が残るともコメントがあり、倉橋氏の研究のさらなる深化に繋がる重要な指摘もあった。
質疑応答においては、歴史修正主義を⽀える文化がなぜ、いかにして維持・再生産されているのかについて、また歴史修正主義を⽀えるディベート文化の派生物とも言える若者の中⽴ぶりたいというメンタリティーを読み解くことの意義といった論点もあがり、活発な議論が行なわれた。
記録担当:板井広明(IGS特任講師)
《参考書籍》 |
『歴史修正主義とサブカルチャー:90年代保守言説のメディア文化』(青弓社ライブラリー92) 倉橋耕平 著 青弓社 2018年2月刊 |
《イベント詳細》 【日時】2018年6月5日(火)18:00〜20:30 |