IGS通信

セミナー「米国移民管理レジーム下でのトランスナショナルな社会空間の再編」

IGSセミナー「米国移民管理レジーム下でのトランスナショナルな社会空間の再編

報告者である飯尾真貴子氏は、メキシコ村落出身移民らの米国との間での移動に着目し、そこでみられる「道徳的秩序」の実践がどのようにジェンダー化されているかを問う示唆に富んだ研究を報告した。2000年代より展開されてきた「デポテーションスタディーズ」は移民受入国の文脈を中心に展開されてきた背景があり、それゆえに送出し地域への影響に関する研究蓄積は限定的で、包摂と排除の二側面を併せ持つ「移民管理レジーム」によって、同様に影響を受けているはずである押し出された側への視点は欠如したままであることが問題として挙げられる。これまでメキシコ(2015年から2018年)と米国(2017年から2019年)においてフィールド調査を行なってきた報告者は不均衡に蓄積されてきた先行研究が持つ課題を乗り越えるため、トランスナショナルな視点を持つことの必要性を強調する。報告者の問題意識は移民の経験に関する点のみならず、彼らの出身地コミュニティにおいてみられる様々な差異によってその経験がどのような異なりを見せるのか、更にはそこにおいてみられる「移民管理レジーム」が彼らに背負わせる困難がいかにしてトランスナショナルな社会空間の再編成を押し進めているのかという点にまで及ぶ。

報告者は米国における「移民管理レジーム」にみられる2つの特徴的な側面を取り上げた。1つ目は1990年代後半、「移民管理レジーム」が移民をより厳格に規制するようになったことである。「反テロリズム」や「安全」という名の下に厳格化が進む一方、規制の力は特定の集団を排斥しているだけのようにも見えた。その最たる例として、メキシコ出身の移民たちは2003年から2016年の間の米国からの強制退去者数全体の66%をも占める。そしてもう1つの側面は、このような人種化と、それに加えジェンダー化がみられるということである。ジェンダーに関していえば強制退去者数における男性の占める割合の圧倒的な高さからも明らかである。つまり米国の移民管理は、1990年代の制度変革と2001年の同時多発テロの2つを軸に、特にラテン米国系・労働者階級・移民男性を標的とするものへと変容してきた。このようなバイアスは移民たちの中にも内在化されていく。調査で聞き取ってきた語りを参照しながら、村落出身移民たちが法への遵守の下に「良い人間」であろうとする姿、ジェンダー化された検挙と送還の結果、「男=悪」「女=善」という二元的な方程式を自らに当てはめようとするようになった姿などが紹介された。

報告の舞台は米国から出身地であるメキシコ村落へと移る。規範は時間と共に移り変わってゆくものである。しかし世代だけでは説明できないジェンダー規範とコミュニティへの異なる姿勢が見られたという。報告者は米国との間の移動がそこに大きく影響を及ぼしていると分析した。まさに「トランスナショナルな社会空間の再編」の実践が見られたのである。一方ではそれぞれの社会の良い面が持ち込まれ、規範自体が作り変えられていくような実践である。他方では「良い面」が必ずしも誰にとっても当てはまるわけではない現実がある。米国と村落共同体のそれぞれもつ「道徳的秩序」が融合していく様子をまなざしてみると、はっきりとジェンダー規範の姿が立ち現れてくる。例えば、米国の「移民管理レジーム」の持つ男性偏重の性格が作り出した移民の「犯罪者化」言説や「男=悪」といった思考は、帰国した男性を「良い帰国者」なのかそれとも「移民管理レジーム」によってはじかれるような帰国者なのか、という二元的な思考の根源になっているのである。この二分化された男性像を基準に、彼らの配偶者である女性たちも評価される。受入国における文脈を飛び出し、2つの領域を行き来する移民の経験からしか抽出できないような包摂と排除の姿、ひいては「道徳的秩序」とジェンダー秩序をめぐる移民の経験の提示は、これまでのデポテーションスタディーズが見ることのなかったような「トランスナショナルな社会空間」とそこで見られる実践に着目したからこその報告であった。

討論を担当した大野聖良氏からは以上の報告を受けて大きく3つの点が出された。1点目は報告でも主題となった強制送還におけるジェンダーの非対称性に関する。2点目は後半で紹介された出身村落における女性たちの抵抗に関する。そして最後がノイズに関する論点である。「異国の」「若い」「女性」「大学院生」といった属性が飯尾氏にとって、フィールドで経験せざるを得ない様々な困難の、まさにその要因になっていたであろうこと、つまりフィールドにおけるノイズとの対峙を特徴付けていたのは上のような属性に依るものであった。一方で、そのような属性を持った存在自体がフィールドにおけるノイズともなりうる、というノイズの二面性を指摘した上で、それでも非正規移民の語りを紡いでいくことが一体何を意味するのかが問われて、本セミナーは締めくくられた。

記録担当:永井萌子
(お茶の水女子大学ジェンダー学際研究専攻博士後期課程)

《イベント詳細》

【開催日時】2020年7月25日(土)14:00~16:00
【会場】オンライン開催(Zoom)
【講演】飯尾真貴子(一橋大学・博士)
【討論】大野聖良(日本学術振興会特別研究・RPD)
【司会】平野恵子(IGS)
【言語】日本語
【参加者数】67名