IGSセミナー(生殖領域)「不妊と男性のセクシュアリティ」
2021年11月26日(金)IGSセミナー「不妊と男性のセクシュアリティ」がオンライン開催された。
不妊の原因は女性のみならず、男性に起因することも少なくない。しかし今なお、不妊を含む生殖の問題は女性の問題と捉える価値観が根強く残り、今日でも、こうした言説は再生産され続けている。本セミナーでは、この男性不妊を取り巻く状況について、由井秀樹氏と竹家一美氏の二人を招いて、「不妊と男性のセクシュアリティ」をテーマに議論した。
1人目の登壇者、由井氏は、1914年からすでに100年以上も続く讀賣新聞の「人生案内」というコーナーに寄せられた、男性不妊によって子どものいない男性当事者、また不妊の夫を持つ女性からの悩み相談56例を分析し、男性と不妊をめぐる問題について何が語られてきたかを検討した。興味深いことに、男性不妊の問題でも、相談を寄せてきたのは当事者である不妊男性よりも不妊の夫を持つ妻からの方がはるかに多い。そして戦後から1990年くらいまでは、女性自身にも妊娠・出産役割と自身の幸福を結び付ける考え方が多数みられ、「女性なら子どもが欲しいのは当然」というような語りもしばしば登場する。2000年くらいからはそのような語りはなくなるものの、自分に子どもができないこと自体を喪失と捉えるような語りはあり、また2000年以降は不妊治療にかかる経済的負担の問題や、女性の身体への負担に対する内容が増えるという特徴もみられる。由井氏の分析では、それは体外受精や顕微授精など、高額の費用のかかる医療が中心となってきたことと関連するだろうという。そして不妊治療を通しての女性への身体の負担が、不妊男性の罪悪感にもつながり、妊娠出産役割を内面化するパートナーとの関係性が、不妊男性に苦悩をもたらしているという。また、男性の生殖機能の問題は、男性同士の間では性的能力(性交の能力)と同一視もしくは混同されている傾向が強くみられ、それゆえに、男性不妊が男性にとって大きなスティグマになっているという興味深い分析が述べられた。男性が不妊の抑圧から逃れるためのストラテジーとして、不妊治療に対して消極的な態度を取り、それが、女性たちのさらなる苦悩へと続く。由井氏は最後に、不妊の原因が男性にある場合も女性にある場合も、また双方の生物学的な相性の問題である場合も、男女ペアという関係性がなければ、不妊はそもそも問題にならず、可視化されない。不妊とはさまざまな意味で、男女の関係性の病ではないかと述べた。
2人目の登壇者、竹家一美氏は、「男性不妊の医療化と男性性」をテーマに、男性不妊の医療化という現象を通して、男性性の構築性や可変性について論じた。不妊は女性の問題という社会通念によって、子どもができないことへの社会的プレッシャーは女性に集中しがちである。一方で、男性の場合、性的能力が男らしさというアイデンティティの中核を構成する要素の一つとなっていると推察され、男性は不妊であると告げられると性的能力を疑われ男らしさが欠如していると思われると大きなショックを受ける。それによって、男性不妊の当事者は沈黙を貫く。その結果、これまで「男性不妊」は可視化されずにきた。竹家氏自身の研究の中でも、勃起障害を原因とする男性不妊の研究協力者がまったく現れなかったことに触れ、男性にとって性的能力は男らしさを示す上で重要な要素となっていることを示唆した。しかし近年、日本では少子化対策を背景に、政治的・医療的な問題として「男性不妊」が注目されるようになってきている。これまで男性不妊イコール性的能力の欠如とみられ、不妊であることは男性性の欠如、男らしくないと捉えられがちだったが、男性不妊治療の技術が発展する中、専門医による男性への啓蒙・啓発活動が進み、行政も支援を開始するなど、男性不妊をとりまく社会的状況は変わりつつある。竹家氏は男性たちがセクシャリティと生殖を切り離して考えられるようになれば、男性も自身の不妊について語れるようになるのではないかと主張した。そして最後に生殖技術の発達によって、性と生殖が分化した現代社会では、男性にも生殖への積極的な関わりが求められる時代が到来しており、今後は男性不妊の社会的認知が高められ、不妊は男性の問題でもあるという認識が広がることを期待すると述べた。
本セミナーには、男性不妊の当事者や医療者も多く参加されていた。今後も不妊について、男女両方双方の視点からの議論が深まることを望む。
記録担当:仙波由加里(お茶の水女子大学ジェンダー研究所特任講師)
《イベント詳細》 【開催日時】2021年11月26日(金)17:00〜18:30 |