2022.12.9 IGSセミナー「クィアな出路か 新たなクィア/ホモノーマティヴィティか:中国大陸と香港のクィア女性たちのトランスナショナルな移動可能性(モビリティ)」
2022年12月9日、お茶の水女子大学内国際交流留学生プラザ3階 セミナー室にて、IGSセミナー「クィアな出路か 新たなクィア/ホモノーマティヴィティか:中国大陸と香港のクィア女性たちのトランスナショナルな移動可能性(モビリティ)」が開催された。香港浸會大学文学院准教授であるルセッタ・カム Lucetta Kam氏がスピーカーとして参加した。
冒頭においてカム氏は、2005年から2011年にかけて行っていた上海の拉拉(ララ)(クィア女性を意味する)たちのエスノグラフィー研究の延長として、中国に出自を持つクィア女性の国境を越えたモビリティに関するプロジェクトに取り組んでいるということを説明した。このプロジェクトを通じ、カム氏は中国から他国に移動するクィア女性たちの人生、クィアとしての自我、願望をとらえるとともに、現時点で中国にいる新たな世代のクィア女性たちの国境を越えた移動の可能性を議論し、その出現のありかたをめぐって新たな知見を広げようとしているという。カム氏は本調査の協力者を、「クィア」のアンブレラ・タームの下でとらえた。調査協力者のセクシュアリティは、レズビアン、バイセクシュアル、フルイド、パンセクシュアルなどが含まれた。またジェンダー・アイデンティティについては、女性、H(中国語文化圏において男性でも女性でもないジェンダー・アイデンティティを指す)、P(中国語文化圏におけるフェミニンなレズビアン女性)、T(中国語文化圏におけるマスキュリンなレズビアン女性)、クィアなどが含まれた。この把握の下でカム氏は「クィア・モビリティ」を、中国に出自を持つクィアな中国人女性が一時的または永続的に国境または大陸を越境し、他国・他地域に滞在することを指す概念として論じていった。カム氏は調査において、ジェンダーとセクシュアリティ、そして地理的なモビリティをめぐるインターセクショナリティに着目し、「どのようにして移動可能性は解放的あるいは規制的な力学として働くのか、どのようにセクシュアリティは移動可能性に影響を及ぼすのか、クィアな人々の移動可能性に彼人(かのひと)らのジェンダーはどのように作用するのか」といったリサーチクエスチョンを立ててきた。中国では2015年から2018年にかけて調査を行い、2022年からは香港でも同様の課題に取り組んでいる。香港のケースについては継続的に調査を行っている途上であるという。近年、同性間のパートナーシップや同性婚にもとづいて移民を受け入れる国が出てきたり、クィア・カルチャーのグローバルな広がりが進んだりしていることで、クィアな人々は越境によってより良い生活を獲得できる可能性を具体的にイメージしたり、実際に渡航を計画したりできるようになった。国境を越えた移動・移住の可能性は、母国かつ受け入れ国での人種、セクシュアリティ、階級、ジェンダーとポスト植民地主義、(クィア)グローバリゼーションなどをめぐる在り様によって形作られている。
クィア女性たちの海外への移動の実践は、ポスト社会主義中国におけるコスモポリタン的自己の追求という文脈において、あるいは社会的に望ましい行動規範という文脈において理解されてきた。これをふまえつつ、カム氏は、国境を越えた移動可能性は、コスモポリタンとして、またポスト社会主義国としての中国において、新たなホモノーマティヴィティ、すなわち善良なクィアである(になる)べきだという価値観の生産に寄与していると指摘した。
中国から国外に出ることを、中国語で「出國(チューグオ)」(chuguo)という。カム氏によれば、「出國(チューグオ)」には「明るい未来の追求」のような意味合いがある。若い都会のエリート層または中間層にとって「出國(チューグオ)」は望ましい生き方であり、階級と文化資本を上昇させるライフコースととらえられている。クィア女性たちにとって、一般的な「出國(チューグオ)」は人生におけるステップアップであるともに、セクシュアリティやジェンダーをめぐる違和を感じることなく生活することを可能にする。それゆえに彼人(かのひと)らは「出國(チューグオ)」を一つの手段として選択するようになる。移動可能性は、彼人(かのひと)らのセクシュアリティとジェンダーにとって居心地の良さを獲得するための交渉において必要なのである。
トランスナショナルに移動するクィア女性たちは、セクシュアリティとジェンダーにおける自律性と社会的尊厳を手に入れようとする。新自由主義社会において国際的な教育、観光、グローバルな就労の機会が広がるというとき、クィアたちは自律性と尊厳を得るためのルートを新たに手にしている。
カム氏は2013年の論稿において、人びとがゲイやレズビアンである以前に「普通」である必要があるという認識の政治性をとらえ、 “Politics of public correctness” 「公共的正しさの政治」という概念を提起した(Kam 2013)。「公共的に正しい」人間であるということは、法的に立場を認められた市民となること、そして社会経済上「生産的」であり、従順な娘であり、「健康」で「明るい」という、ホモノーマティブな幻想に適合するホモセクシュアル的なモデルに近づくことを意味する。都市エリート層の若者たちが国境を越えたモビリティ、あるいは「出國(チューグオ)」を実現していくというとき、クィアな主体はそのような公共的正義の政治に組み込まれている。この意味において、トランスナショナルなモビリティは中国におけるホモノーマティヴィティの新たなモデルとなっているのである。 カム氏は最後に、実際に行った調査事例の内容をいくつか紹介した。調査協力者たちの年代やパートナーシップの状況、居住地域、就労状況などはさまざまで、データに富み、これまでカム氏が紹介した概念を補強するとともに、参加者にとっては非常に理解がしやすくなっただろう。
カム氏の発表の終了後には質疑応答が行われた。質疑応答では複数人から質問があり、盛り上がりを見せた。また現在まさしく進行中であるという香港における調査についてもカム氏から話していただくことができた。
本セミナーでは会場がほぼ満員となるほど、注目を集め、非常に充実した時間となった。
文献
Kam, Lucetta Yip Lo., 2013, Shanghai Lalas: Female Tongzhi Communities and Politics in Urban China (Queer Asia): Hong Kong University Press
駒村日向子(お茶の水女子大学博士後期課程ジェンダー学際研究専攻)
《イベント詳細》
IGSセミナー「クィアな出路か 新たなクィア/ホモノーマティヴィティか:中国大陸と香港のクィア女性たちのトランスナショナルな移動可能性(モビリティ)」
【日時】2022年12月9日(金)15:00~16:30
【会場】オンライン(Zoomウェビナー)と対面(国際交流留学生プラザ3階セミナー室)によるハイブリッド開催
【報告者】ルセッタ・カム(香港浸會大学文学院准教授/2022年度IGS研究協力員)
【司会】大橋史恵(IGS准教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】英語
【参加者数】25名