IGS通信

IGSセミナー「「トラブルの時代」におけるジェンダーの理論化と教育」

2024.1.12 IGSセミナー「「トラブルの時代」におけるジェンダーの理論化と教育~本質主義の克服に向けて」

イベント情報

IGSは2024年1月12日(金)、英国の研究者であるキャサリーン・レノン氏(ハル大学)とレイチェル・アルソップ氏(ヨーク大学)を招き、IGSセミナー「「トラブルの時代」におけるジェンダーの理論化と教育~本質主義の克服に向けて」をオンライン開催した。ジェンダー理論のテキスト『Gender Theory in Troubled Times』(2019 Polity、邦訳刊行予定、以下『GTTT』)の著者であるレノン氏とアルソップ氏は、「男性」「女性」に固定的で唯一の真実があるかのようなジェンダー本質主義が「女性やLGBTQIコミュニティに対する差別の根底にある」と指摘し、ジェンダー理論と、ジェンダーに関する権利をめぐる差別や抑圧とが連動していることに気づかねばならないと訴えた。右派ポピュリズムの台頭を背景に影響力が強まる本質主義を克服するため、ジェンダーの理論化と教育はどのように行えるか――という問題意識を軸にセミナーは展開し、稲原美苗氏(神戸大学)、松永典子氏(早稲田大学)、本山央子氏(お茶の水女子大学IGS)がコメントや質問を重ねて議論を深めた。司会は大橋史恵氏(お茶の水女子大学IGS)。
講演は、レノン氏がシモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉を引用し、「ジェンダー」という用語を問うことから始まった。「セックス」は生物学的、「ジェンダー」は文化的・社会的なものとして区別されることがあるが、生物学的なものと文化的・社会的なものは互いに影響し合っているため、自身は明確に区別していないと表明。「ジェンダーは地域的、文化的、社会的、歴史的に交渉されて決まるもの。ジェンダー本質主義を拒否するとき、生物学的な違いや象徴的な構造、主観的な感情を無視するのではなく、この全てをジェンダー形成の複雑な物語の中に置いている」と述べる。
『GTTT』は、ジェンダー化を生み出している社会的要素とそのプロセスを理解する〝ツールキット〟として、身体的な生物学的特性や資本主義、家父長制度における構造、内面化のプロセス、そしてパフォーマーティブの再生産などを取り上げ、分析できるようにしたと説明。とりわけ、身体についてはボーヴォワールの考えに則って考察したとし、「ボーヴォワールは社会的なカテゴリー化がなければ、子どもたちは自分のことを性差がある生物と捉えないと言っている。性差による私たちのカテゴリー化は生物学的な違いに私たちが意味を与えた結果で、意味は変動する」と強調した。
続いてアルソップ氏は、ジェンダーを単独で考えることはできないため、『GTTT』では階級や人種、性的指向、宗教、障害、年齢といったインターセクショナリティ(交差性)を考える必要性を論じていると話した。この議論を受けてレノン氏は、二人が提起する新たなジェンダー的なアイデンティティは「社会的自己の他の側面と合わさって構成されるもの」と説明。性別や性的指向、人種、階級といった抑圧的な側面すべてに取り組む「連合政治」が必要だと主張した。
さらに、レノン氏は、右派ポピュリズムの台頭に伴うジェンダーやセクシュアリティに関する権利の後退や差別に対抗することは、ジェンダー本質主義と厳格なジェンダー二元論に抵抗することを同時に意味するとし、「異性愛規範的な、いわゆる核家族的な親族関係の多様化の中で、多様な関係性が正当化され、法的・経済的支援が与えられねばならない」と述べた。
コメントでは、2004~2006年にハル大学博士課程に在籍し、レノン氏のもとでジェンダー理論と現象学を研究した稲原氏が、レノン氏の研究を貫く主なテーマとして自然主義と本質主義への懸念があると報告。ジェンダー本質主義が日常生活において再燃する中、アルソップ氏とともに『GTTT』で本質主義に反論し、「主観性における身体の役割について説得力のある形而上学を提供している」と評価した。次に、松永氏が学生にジェンダーを教える立場から、インターセクショナリティをめぐって質問。日本における難民承認率が他国に比べて著しく低く、帝国主義や植民地主義をもたらした過去の歴史と向き合わずに外国人労働者について議論している状況を批判し、「問題を認識すらできていない学生に対して、インターセクショナリティをどのように伝えたらよいのか」と尋ねた。レノン氏は、パトリシア・ヒル・コリンズが、白人女性はジェンダーによって差別されるが、人種としては特権階級であり、ある個人が特権的な立場にも抑圧された立場にも同時に置かれることがあると指摘したことを解説。この考え方が「インターセクショナリティは、私たちみんなの問題なのだと伝える上で役立つ」と応答した。
また、『GTTT』を翻訳中の本山氏は、フェミニズムに対して親和的な形態を取るジェンダー本質主義の問題性の社会共有と、ジェンダーに基づく暴力とジェンダー本質主義について質問した。特に、トランスジェンダーの人たちや人種化された男性を「危険な脅威」として安全保障の対象とするような政治に対抗するため、ジェンダーと暴力の関係についてどのように再概念化していけるかと意見を求める場面があった。最初の質問に対して、アルソップ氏は、ジェンダーに関わる不平等に対抗すると同時に、ジェンダー二元論や本質主義そのものに問いかける政治を行っていく必要があると提起。レノン氏は二つ目の質問について、ほとんどの暴力は男性から女性に振るわれている前提はあるとした上で、暴力が男性ホルモンの影響と結論づけるのは短絡的であり、生物学的見地のみからの分析は議論の展開を疎外するため、議論の単純化に抵抗するようにしようと応答した。アルソップ氏も「拡大したかたちでジェンダー暴力を理解しなければいけない」と重ねた。
セミナーには学内外から100人以上が参加した。終盤の質疑応答では「ジェンダーの違いに関する本質主義的な見解を持ちながらジェンダー平等は達成できるのか」といった質問が取り上げられ、活発な応答が続いた

記録担当:河原千春(お茶の水女子大学大学院ジェンダー社会科学専攻博士前期課程)


《イベント詳細》
IGSセミナー「「トラブルの時代」におけるジェンダーの理論化と教育~本質主義の克服に向けて」
【日時】2024年1月12日(金)17:00~19:00
【会場】オンライン開催(Zoom)
【報告者】
キャサリーン・レノン(ハル大学名誉教授)
レイチェル・アルソップ(ヨーク大学女性学センター講師)
【コメント】
稲原美苗(神戸大学准教授)
松永典子(早稲田大学准教授)
本山央子(IGS特任リサーチフェロー)
【司会】大橋史恵(IGS准教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日英(同時通訳有)
【参加者数】166名