IGS通信

国際シンポジウム「トランスジェンダーが問うてきたこと」

IGS国際シンポジウム「トランスジェンダーが問うてきたこと:身体・人種・アイデンティティ」

フェミニズムとトランスの権利運動は、多くの点で目標や関心を共有しているにもかかわらず、しばしば緊張と摩擦も生み出してきた。女子大のトランス女性受け入れをめぐって主にオンライン上で台頭している攻撃的なフェミニスト言説は、2つの運動の間の緊張とよりよい関係について、深く考える必要を示している。社会の高い関心を反映して、本シンポジウムには数日のうちに多数の申し込みが殺到した。
4人のパネリストは、トランスナショナルでインターセクショナルな視角から、トランスジェンダーをめぐる論争をときほぐし、ジェンダー、セクシュアリティ、レイシズムにもとづく抑圧からの解放をめざす政治にとって、なぜトランスの人びとの解放が重要な課題であるのかを示した。

スーザン・ストライカー氏は基調講演で、トランスジェンダーという語と概念が、グローバルな空間と歴史のなかでどのような変遷を経てきたのかを、4つのナラティブを通してたどった。すなわち、(1)ジェンダー・ヴァリアントな(既存の性別に適合しない)人びとが、いかに病理化に抵抗して自らのためにトランスジェンダーという言葉を使うようになったのか、(2)英語圏のフェミニストたちが、いかにジェンダーという概念を、トランスセクシュアルに関する医療心理学の議論から取り入れてきたのか、(3)アメリカの新帝国主義的な世界秩序の下で、トランスジェンダー概念がいかに国境を越えて流通することになったのか、(4)トランスジェンダーの人びとを危険視するような陰謀論的議論がいかに台頭してきたのか、である。

このような幅広い領域と歴史にわたる検討を通じて、ストライカー氏は、トランスジェンダーという概念はフェミニズムによる発明などではなく、セックスから区別されるジェンダーという概念それ自体が、インター/トランスセックスの人びとについて説明すると同時にその存在を封じ込めようとする医療心理学の試みから生じてきたことを指摘する。ストライカー氏の議論はまた、トランスジェンダーとフェミニズムをめぐる論争が、いかに歴史的な植民地主義、新自由主義的な差異の管理、自民族中心的なナショナリズムの台頭と切り離すことのできない関係にあるかを明らかにした。だからこそトランスの人びとの解放は、二元論的性秩序だけでなくレイシズムや植民地主義からの解放をめざすあらゆる運動にとって重要な課題なのである。

清水晶子氏は、近年日本のSNS上で台頭しているトランス嫌悪的なフェミニスト言説が、トランスナショナルな性格をもっていることを指摘したうえで、しかし、こうした言説は必ずしも海外から日本に「輸入された」とはいえないという。「フェミニズムはクィアを生み出し家族を破壊する」という2000年代初頭のジェンダー・バックラッシュに対し、保守的なフェミニストがとった反応は、「普通の女性たち」のために性的マイノリティとクィア政治を切り捨てるという防御的なものであった。清水氏は、右派の運動がトランス排除的なフェミニスト言説と接近する危険性を指摘し、主流派フェミニズムに真剣な注意を払うよう促した。

井谷聡子氏は、スポーツ競技という、もうひとつの厳格なジェンダー二元制にもとづく領域におけるトランス包摂をめぐる議論に焦点をあてた。国際オリンピック委員会(IOC)がトランスジェンダー選手の包摂に関するポリシーを明らかにして以来、スポーツにおけるトランスジェンダーの可視性は飛躍的に高まった一方で、バックラッシュも激化している。女子競技にトランス女性が参加することを「生物学的女性」にとってアンフェアであり危険だと主張するフェミニスト言説の担い手は、女性の権利やゲイ・レズビアンの権利を擁護する人びとであるが、こうした主張は、男性は本来的に女性よりも優れているというセクシズムのみならず、植民地主義と人種主義にもルーツをもっている。このような差異にもとづく排除論の一方で、「生物学的女性」と「同じである」ことを根拠にした包摂論もまた、「真の」女性という基準を捏造し、クィアの身体を消し去るように作用しているのである。

ナエル・バンジー氏は、トランスジェンダーの可視性が高まる中で、どのトランスジェンダーの身体が、いかに可視化されているのかという問いを提示する。トランスフォビアの犠牲者は非白人のトランス女性に集中しているにも関わらず、犠牲者を公に悼むトランスナショナルな運動において可視化されるのは多くの場合白人であり、トランスフォビアとレイシズムの交差は後景に退いてしまう。その一方で、非白人のトランスジェンダーの暴力的な死はグローバルな空間でしばしば過剰に可視化され、想像された親密性のために消費されているのである。こうして、「9.11」後の世界において、「あそこ」における人種化されたトランスジェンダーの暴力的な死は、トランスジェンダーの権利が擁護される「ここ」の優位性をつくりだすとともに、トランスジェンダーをとりまく構造的な暴力を不可視化することになるのである。

ディスカッションでは、日本におけるトランスジェンダーをめぐる言説や、新自由主義とナショナリズム、メディアによる可視化/不可視化といった論点をめぐって活発な議論が交わされた。トランスフォビックな言説とともに、「日本はつねにゲイ/トランス・フレンドリーな社会だった」という言説もまた排除を正当化しているという指摘、新自由主義的な政治において、マイノリティの権利が資源をめぐる競争として問題化されているという指摘は特に重要である。

シンポジウムを通して、シス女性とトランス女性、あるいはフェミニズムとトランス運動の対立とみえるものを、多様な抑圧が交錯する権力構造のなかでとらえなおしていく必要がさらに明らかになった。歴史的でトランスナショナルな広がりをもつ研究と運動の進展がいっそう期待される。

記録担当:本山央子(お茶の水女子大学ジェンダー学際研究専攻)

《開催詳細》

【日時】2019年12月15日(日)14:00~17:30
【会場】共通講義棟1号館304室
【総合司会】申琪榮(Ki-young Shin)(お茶の水女子大学IGS准教授)
【基調講演】スーザン・ストライカー(Susan Stryker)(イェール大学 学長フェロー/女性・ジェンダー・セクシュアリティ研究招聘教授、米国)
How “Transgender” Travels: Thinking About Gender Variance in a Global Context
【パネル司会】石丸径一郎(Keiichiro Ishimaru)(お茶の水女子大学准教授)
【パネリスト】
・清水晶子(Akiko Shimizu)(東京大学教授)Imported Hatred?: Japan’s Transphobic Feminism in Transnational Context
・井谷聡子(Satoko Itani)(関西大学准教授)On the ‘Feminist’ Discourse of Trans-exclusion from Sport
・ナエル・バンジー(Nael Bhanji)(トレント大学助教授、カナダ)Troubling Trans: Necropolitics, Trans Bodies, and Genealogies of Governance
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日本語・英語(同時通訳)
【参加者数】119名
【開催案内】http://www2.igs.ocha.ac.jp/events2019/#20191215