IGS国際シンポジウム「#MeTooの政治学:#MeTooが残したフェミニズムの課題を考える」
2022年1月21日(金)、国際シンポジウム「#MeTooの政治学:#MeTooが残したフェミニズムの課題を考える」がオンライン開催された。冒頭、総合司会の申琪榮氏から、2017年末、性暴力告発の#MeToo運動が世界に広がったこと、またその中でも韓国は#MeToo運動をはじめとしたフェミニズム社会運動が今もなお活発に行われていることが紹介された。
第一部では、韓国のドキュメンタリー映画『アフターMeToo』(2021)の監督であるカンユ・カラム氏と二人のパネリスト、濱田真里氏と金李イスル氏による議論が行われた。映画では、1990年代後半韓国で活発に活動したフェミニストたちを追った、カラム監督のドキュメンタリー『私たちは毎日』(2019)で取り上げることができなかった#MeToo運動のその後に焦点が当てられる。映画には複数の監督による4つのエピソード―⑴「女子校の怪談」(スクール#MeToo)、⑵「私の心と体は健康になった」(中年女性の被害の経験)、⑶「それから」(被害者を支える支援者)、⑷「グレーセックス」(親しい関係での暴力)が、オムニバス形式に収録されている。どのエピソードも多くの人が思い浮かべる代表的な#MeTooの話ではなく、身近で可視化されにくく、公の場で語ることが難しいトピックである。
⑴「女子校の怪談」では、学校における教師による性暴力に対して生徒たちが付箋を使い、連帯する姿(校舎の窓に多数の付箋を貼りつけて#WithYouの文字列を形作る)が描かれている。2018年当時、メディアで報道される#MeTooの流れを受け、身近な#MeTooに気付き、告発する原動力になっていったと分析する。⑵「私の心と体は健康になった」では、一人の女性が故郷に戻り、その地で幼少期に受けた性暴力告発のスピーチをするために、何度も練習する場面が登場する。当初は本名を隠して「幸せ先生」というハンドルネーム(アカウントネーム)を名乗っていた女性は、撮影を通じて監督との信頼関係を築き、遂には本名を明かすに至る。エンドロールには、「幸せ先生」と女性の本名の二つの名前がクレジットされている。⑷「グレーセックス」では、女性たちのマッチングアプリで出会った男性に対する違和感が描かれている。アプリ内では、男性が好む女性像がパッケージングされていること、またアプリ上はそれを容認するような空間であること、さらに韓国社会においてアプリを通した親密な関係について語ることが難しい現状が挙げられた。
カラム氏が監督を担当した⑶「それから」では、文化芸術界における性暴力が描かれている。狭いコミュニティ内で被害を受け、それを告発することはその分野でのネットワークを失い、将来的な進路さえも閉ざされてしまうが、誰かが声をあげなければ次の被害者が生まれてしまうというジレンマを抱える。被害者を守るためにも、内部から変革できる支援者の必要性が訴えられた。
金李氏からは、被害者像には当てはまらない、日常をなんとか生きる一人の女性の側面をみることの重要性について、さらに在日朝鮮人女性が#MeTooをする難しさや被害者の声に耳を傾ける支援者の必要性について語られた。濱田氏からは、女性議員に対するオンラインハラスメントの事例を踏まえながら、日常において性被害を被害と気づくことの難しさと、性暴力を個人の問題ではなく社会の問題として、みんなで声をあげていくことの重要性が再確認された。
第二部では、#MeToo以後のフェミニズムの諸課題について日韓の状況を共有しながら議論が行われた。まず『#MeTooの政治学』の著者・権金炫怜氏は、出版の大きなきっかけとして韓国で起きたアン・フィジョン事件(元忠清南道知事アン・フィジョン氏による秘書・キムジウン氏への性的暴行事件)を挙げ、この事件を本書の大きなテーマとして扱い、男性中心的な権力社会の中で性暴力の問題提起がどのようになされてきたのかを明らかにすることが目的だと語った。すでに韓国では、刑法に「威力」による強姦を禁ずる法律が制定されていたが、業務上の明確な関係性を示す必要性があったため告発が難しく、事実上判例がない状態であった。しかし、アン・フィジョン事件では直接的な雇用関係が認められたことで有罪判決となり、性暴力事件の司法判断において大きな転機となった。ただ、法的には勝利したものの、政治文化的文脈では多くの論争やバッシング、特に大手マスメディアを中心とした加害者を保護する世論作りと#MeToo運動へのバックラッシュによって、被害者への二次加害は続いていると指摘された。
同じく著者のルイン氏からは、従来のジェンダー暴力が性別二元論的な男性から女性に対する暴力と考えられているため、トランスジェンダー・クィアの立場からジェンダー暴力を再構成するという本書の目的が語られた。トランスジェンダー・クィアへの暴力と非トランスジェンダーへの暴力が似た構造であることに着目し、家父長制社会においては女性への差別があって当然だと考えられる現状から、被害者は女性であるのが当然だとする社会一般の認識枠組みについて、ジェンダー暴力を非トランスジェンダーの立場から一方的に規定しているのではないかと問いかける。また、一部のフェミニストから語られるトランスジェンダー嫌悪についても提示しながら、フェミニズムとトランスジェンダー・クィア政治間の連帯の方法について模索するためにもジェンダー暴力の再考は有効だと述べた。
菊池夏野氏はまず、本書のなかでフェミニズム研究と運動(理論と実践)が結びついて論理的に分析されていることを評価した。また、日韓ともに性暴力告発への壁は存在するが、日本の現状は被害者の姿ばかりが報道され、その壁がどこにあるのかが見えてこないという指摘がされた。
韓国の#MeToo運動に関して権金氏は、スウェーデンで匿名で行われた#MeToo運動、アメリカで行われた有名人の#MeToo運動と違い、韓国の#MeToo運動は、当初SNS上での暴露という形で行われ、その後法廷闘争に持ち込まれるケースが多くみられることを指摘する。韓国の#MeToo運動は、性暴力が何であるのかを世の中に広めることができた一方、被害者個人が負担を強いられ過ぎている、また告発できる人とできない人の差も存在する。ルイン氏は韓国の#MeToo運動の成果は、暴力・差別を取り巻く社会や制度がどのように構成されているのかが幅広く理解できたことや、クィア運動やコミュニティの中での差別や抑圧に対する告発にも波及したことであると語った。菊池氏からは、日本の#MeTooやフェミニズムの広がりが多くの人に周知され、医学部入試における女子差別問題の取り上げなど個別の功績がある一方、#MeToo運動が集団的な動きとしては成り立っていないという指摘も行われた。そしてその根本的な要因として、日本という国家と国民が、慰安婦問題に正面から向き合ってこなかった点を挙げた。国家的な性暴力がなかったことのようにされている中では、#MeToo運動もあたかも存在していないかのように、メディアや社会から黙殺される。これが日本において#MeToo運動が社会運動としての盛り上がりを欠く理由ではないか、と述べた。
ポスト#MeTooの変化について権金氏は、韓国は深刻なバックラッシュからもポスト#MeTooと言える段階ではないが、#MeTooの成果として地方で立法化に結びついたことや組織の中で問題解決をする多様な経験を得たことを挙げた。同じ女性でも違う経験を告発する#MeTooから社会の中で連帯し合う#WithYouへどのように変化していくかが求められている。ルイン氏からは、韓国でのトランス女性を取り巻く状況が語られ、女子大におけるトランス女性受け入れに対する反応は日本でも同じような状況であったことが触れられた。一連の話題がトランスジェンダーと女性、フェミニズムとトランスジェンダー・クィアといった分断として理解され、#MeToo以降トランス女性が加害者と位置付けられてしまったことにも警告を鳴らした。
最後の質疑応答とまとめでは、インターセクショナリティについての視座を共有したうえでの連帯や性的同意などの議論にも発展して、本シンポジウムは終了した。
記録担当:花岡奈央(お茶の水女子大学大学院博士前期課程)
《イベント詳細》 【日時】2022年1月21日(金)15:00~18:00 |