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8/29国際フォーラム「出自を知ることがなぜ重要なのか」

2021. 8. 29 IGS国際フォーラム
「出自を知ることがなぜ重要なのか:提供精子で生まれた人たちの経験と思い」

日時:2021年8月29日(日)15:00~17:30(JST)
オンライン開催(ZOOM Webinar)

日本社会においても、近年、提供精子や提供卵子で生まれる人の出自を知ることの重要性は理解されつつある。それでも出自を知ることを「権利」として保障するための具体的な取り組みが日本ではなかなか進まない。
本オンライン国際フォーラムでは、オーストラリア、ベルギー、日本で、提供精子によって生まれた方たち4名を招き、自身の経験を交えながら、この出自の問題についての考えを語っていただく。そして約40年、提供精子で形成された家族や「出自を知る権利」の問題を研究してこられたケン・ダニエルズ氏を交え、出自を知ることがなぜ必要なのかについて討論する。

講師

ダミアン・アダムス(オーストラリアでのAID出生者)
「法改正のために私が歩んできた道」
リーン・バスチアンセン(ベルギーでのAID出生者)
「ベルギーでAIDで生まれるということ」
加藤 英明(日本でのAID出生者)
「日本での精子等提供医療の歴史と倫理的な問題」
石塚 幸子(日本でのAID出生者)
「日本で出自を知る権利を実現するためには」

ディスカッサント ケン・ダニエルズ(カンタベリー大学・ソーシャルワーカー、ニュージーランド)
司会 仙波由加里(お茶の水女子大学、IGS)
言語 英語・日本語(同時通訳付き)

参加申込

要事前申込・登録制、参加無料:ZOOM参加申込フォーム
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研究報告要旨

「法改正のために私が歩んできた道」
ダミアン・アダムス (オーストラリアのAID出生者)

法律の改正を求め、ロビー活動を行うことは簡単なことではなく、多くの場合、何年ものたいへんな努力が必要です。たった一人で達成できる場合もありますが、多くの場合、人々が集まりグループとなって具体的に取り組むことが必要です。しばしば、変化を生み出すために必要なことは、たった一つの出来事から生まれるのではなく、人々の人生の中で起るたくさん出来事や不公平だと思われるようなことから生じます。私、ダミアン・アダムスは、自分がオーストラリアの法律や政策のさまざまな変更にどのように関わってきたかについて、私個人が歩んできた道を、みなさんに紹介したいと思います。

このロビー活動は、南オーストラリア州の生殖補助医療法の法改正を求める中で最高潮に達しました。提供配偶子での出生者が自分たちの生物学的父や母、すなわち配偶子ドナーの氏名や住所を含む情報へのアクセスを、いつ生まれたかに関係なく許可するという内容を入れることを求めて、数十年にわたる配偶子ドナーの匿名性を覆そうと議論されました。提案された修正案の内容、すなわちそのようなドナー情報への遡及的アクセスを法律で認めるのは、南オーストラリア州が世界で2番目になります。このような改正は、オーストラリアのビクトリア州でナレル法として導入された先駆的な法律に習い、それに基づいて構築されています。

何十年にもわたってドナーを秘密にし、それを文化としてきた不妊治療クリニックや臨床医などの強力な利害関係者のグループはロビー活動に対立してきました。しかし世界で法律の変更がどのように発生したのかを調べることで、私たちは他の法域で法改正を達成するためにしてきた道のりや手順を理解できます。


「ベルギーでAIDで生まれるということ」
リーン・バスチアンセン(ベルギーでのAID出生者)

2007年以降、ベルギーでは配偶子提供は法律で匿名で行われることになっています。非匿名の提供は特定の条件下では容認されますが、こうしたことはめったに起こりません。非匿名での提供は違法なのです。2012年以降、提供配偶子での出生者がしだいに声を上げるようになり、出生者の出自を知る権利の法的な承認を要求するようになりました。それ以来、さまざまな政党が提供精子で生まれた人のニーズに応えようとしていますが、今日まで政治的合意に達しておらず、ドナーの匿名性が依然として標準とされています。

1984年生まれの私は、法規制のない時代に提供精子で生まれました。しかし、ドナーを匿名とすることは事実上の手順であり、提供精子で母を妊娠にこぎつけた医師は私の両親にどうやって妊娠したかその方法を秘密にしておくようにアドバイスしました。 私は21歳のとき、父が不妊症であるために匿名の精子提供によって妊娠したことを知りました。この告知は大きな衝撃をもたらし、立ち直るのはたいへんでした。次の年、私は実の父を知る権利のために戦いました。私の必死の捜索は、痛ましい批判、否定、そして中傷に見舞われました。ですが、31歳でようやく実の父を見つけ、何度か会いました。彼は親切で、私のすべての質問に喜んで答えてくれます。私は感謝しています。しかし、彼を見つけたことですべての悲しみが解決できたわけではありません。新たな課題が生まれ、提供配偶子で生まれたということは、この先も複雑で厄介なことが決してなくならないのだということを悟りました。


「日本での精子等提供医療の歴史と倫理的な問題」
加藤 英明(日本でのAID出生者)

提供精子による人工授精(Donor insemination―DI) が日本で始まったのは1948年のことです。以来70年が経過し、およそ20,000人がDIで生まれたと推測されています。DIで生まれた人の正確な数が不明なのは、登録システムがなかったことに起因しています。最盛期には日本全体で20を超える病院やクリニックがDIを行っていました。でもそのほとんどの医療施設が独自の方法でドナーを募集し、患者の治療を行い、実施数についての全国的な報告がまとめられるようになったのは1992年以降のことです。このような背景の中で不妊治療にあたる医師、DIを受ける患者ともに相互の情報共有がなされてきませんでした。その結果としてDIで生まれた子どもは体系的なケアを受ける機会がなく、またその全体数も不明なままとなっています。多くの医療施設では子どものケアを検討する機会もありませんでした。不妊治療を行う施設にとって子どものケアは診療報酬にならず、子どものケアのためのスタッフの雇用や養成は施設の持ち出し負担になります。医療機関の負担を軽減するようなインセンティブや法的規制も存在しません。その結果、DIで生まれた人への事実告知やケアがなされていないのです。本講演では日本のDIの歴史的な背景とともに提供精子の利用に関する現状の医療システムの題点についてお話します。


「日本で出自を知る権利を実現するためには」
石塚 幸子(日本でのAID出生者)

昨年日本初の生殖補助医療に関する法律が成立しました。しかし、私たちの求める出自を知る権利は認められませんでした。ロビイングを通して感じたのは、告知の重要さや提供者がわからないことの問題を理解してもらうことの難しさです。そして、出自を知る権利が提供者の負担であるという誤解もあります。今、開示する提供者情報の範囲を限定する方向での議論が進んでいると報道されています。本フォーラムの中でこの先日本でどのような取り組みが有効なのかを考えたいと思います。

ディスカッサント

ケン・ダニエルズ(カンタベリー大学)
ニュージーランド在住。提供精子での人工授精(DI)、および、生殖補助医療分野に40年以上かかわってきた。こうした医療を利用しようとする患者や家族のカウンセリング、準備セミナー等をニュージーランドのみならず、諸外国でも精力的に実施し、世界中の医療消費グループや組織のために、数多くの講演もこなしてきた。これまでに多くの国でDIについての調査を実施し、諸外国のこうした非パートナー間生殖医療に関する政策づくりにも貢献してきた。ニュージーランド政府の生殖補助医療に関する倫理委員会の副議長や政府の生殖補助技術諮問委員会の副議長をつとめた。ニュージーランドのクライストチャーチにあるカンタベリー大学のフルタイムの教職を退職した後も、精力的に研究や、相談役、政策づくりのアドバイス、カウンセリングをこなしている。学術論文、多数。

主催:お茶の水女子大学ジェンダー研究所
共催:科研費・基盤C「 諸外国の配偶子ドナーの匿名性と出生者の知る権利の対立への対処に関する研究」(18K00034)