2022.12.20 IGS国際シンポジウム
「リプロダクティブ・ジャスティス:妊娠・中絶・再生産をめぐる社会正義を切り開く」
冒頭で、本シンポジウムの企画者である申琪榮氏が次のような開催趣旨を述べた。―妊娠・中絶・再生産をめぐる女性の決定やそれを保障する医療、公的サービスは基本的人権であるが、歴史の中で女性のからだや再生産能力は常に権力によって占有が争われてきた。2022年にアメリカ最高裁は、人工妊娠中絶の権利の法的根拠となってきたロー対ウェイド判決を覆す決定を下した。また日本では刑法の堕胎罪が未だに存在している。特に近年は、ジェンダー、人種、セクシュアリティなどが交差する抑圧の中で女性は分断されており、個人の「リプロダクティブ・ヘルス(性・生殖・再生産をめぐる健康)」や「リプロダクティブ・ライツ(性・生殖・再生産をめぐる権利)」のみならず、それを阻む構造自体に目を向ける必要性がある。本シンポジウムでは上記の問題意識から「リプロダクティブ・ジャスティス(性・生殖・再生産をめぐる社会正義)」の概念を切り口として、妊娠・中絶・再生産の自己決定を可能/不可能にするのは何か、法・政治・社会運動はどのように関わってきたのかを米国及び日本の専門家らと議論したい。
第一部のイケモト・リサ・C氏からの報告では、まずリプロダクティブに関する3つのフレームワークが提示された。本シンポジウムのテーマであるリプロダクティブ・ジャスティスは、女性の中絶権利に焦点を当てたリプロダクティブ・ライツの限界から登場し、学術概念であると同時に社会運動の概念として発展してきた。その中心には社会的不平等への注視、インターセクショナリティ概念の使用、コミュニティ団体の重視がある。次に報告ではアメリカの中絶権利を左右してきた最高裁判決についての説明があった。1973年のロー対ウェイド判決は、中絶を「プライバシーの権利」として位置づけ「ジェンダー平等」の保護として認めたわけではない。しかしながら同判決は女性が自分の身体への自立や管理を確保する上で重要な意味を持ってきた。こうした状況は2022年のドブス対ジャクソン女性健康団体判決により中絶の禁止・規制が可能になったことで、大きく変化しつつある。イケモト氏は、ドブス判決は保守派判事が最高裁の過半数を占める政治情勢を反映したものであり、保守派の特徴としてキリスト教、新自由主義、連邦主義への支持があること、また判決によって現在アメリカは中絶をめぐる「内戦」状態になっていると指摘した。同判決により、中絶禁止州における希望しない妊娠継続の強制、妊娠全般の医療ケアの縮小、妊娠・中絶犯罪化の拡大が懸念されている。また、将来的には避妊方法や同性婚などプライバシー権利に係る他の判決にも影響をもたらす可能性がある。こうした不安な状況への希望として、最後にイケモト氏は中絶擁護州におけるサービス提供拡充の動きや、インターセクショナリティの視座に立脚した性と生殖と再生産をめぐる人権の尊重を要求するリプロダクティブ・ジャスティス運動も広まっている状況を挙げ、中絶のみならず多様な社会正義の問題に連携して取り組むことが喫緊の課題であると指摘した。
2人目のパネリストである岩本美砂子氏からは、日本のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの状況とそれに対する宗教右派・政治右派の攻撃について包括的な説明が提供された。まず岩本氏は、日本におけるリプロダクティブ・ジャスティスの重要な課題として日本軍戦時性奴隷制の問題が未解決なことを挙げ、政府の謝罪・賠償が不十分であると同時に、右派が事実や歴史認識を歪曲してきた実態を指摘した。また過去には、優生保護法に基づき強制不妊手術が行われてきた事実があり、法による障害者やトランスジェンダーの人々へのリプロダクティブ・ライツの侵害は現在も課題となっている。さらに、日本の妊娠・出産・避妊・中絶は医療保険によってカバーされず、医師会が中絶に関し絶大な影響力を持つとともに、使用できる避妊方法も限定されている状況がある。こうした状況において性教育の推進は重要だが、日本の性教育は世界的に遅れており、その背景に宗教右派・政治右派によって攻撃を受けてきた経緯がある。性教育へのバッシングは2000年代に顕著であり、右派による性教育攻撃は結果として日本の性教育の委縮に繋がった。性教育批判の中核には女性の性的自己決定権への敵対視があり、地方政治と結びつきながら優生保護法「改正」運動、選択的夫婦別姓批判、LGBTQ権利否定などの反リプロダクティブ工作が続けられている。特に個人より家族を優先する「家庭教育支援条例」は国政レベルでの憲法改正の布石になる恐れがあるため、幅広い連携によって阻止する必要がある。最後に日本におけるリプロダクティブ・ライツ及びジャスティスの推進に向けて、中絶要件や費用の緩和、避妊方法の拡大とともに、歴史的課題として日本軍性奴隷制と優性保護法が犯した不正義を政府に賠償するよう要求することが不可欠であるとして報告は締めくくられた。
第一部のパネリスト報告を踏まえ、第二部では4人の専門家から以下のコメントが寄せられた。まず、高谷幸氏からは両報告ともに国家レベルの宗教右派の政治的影響を懸念していたことを踏まえ、国家レベルの政治とリプロダクティブ・ジャスティスを考える際に「ネイション(国民)の再生産」も関与するのではないかと問題提起がなされた。そして、日本の代表的な移民女性である国際結婚女性と技能実習生の身体管理・自己決定が侵害されている状況について説明がなされた後、ネイションの再生産は経済的グローバル化の中でどのように変化しているのかという質問が報告者になされた。
次に、飯野由里子氏からはまず、リプロダクティブ・ジャスティスはリプロダクティブ・ヘルス/ライツに代わる「新しい言葉」ではなく、3つは切り離しがたく結びついている点が強調された。そして実質的なリプロダクティブ・ヘルス/ライツの獲得のためには、リプロダクティブ・ジャスティスを踏まえた社会変革が重要であり、日本では入国管理制度や移民労働者の権利運動にも取り組むべきことが指摘された。さらに近年は保守主義と女性運動の接近も見られており、リプロダクティブ・ヘルス/ライツは障害者の自由や権利の問題でもあるとして、その射程を広げていく必要性が提起された。
3人目の大橋由香子氏からは、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの定義が日本では分かりにくいものに留まっていること、また中絶を犯罪と見なす発想が日本社会に根強く、女性が罰せられる状況に繋がっていることが課題として指摘された。さらにリプロダクティブ・ヘルス/ライツと併せてジャスティスも日本では定着していないことが問題提起され、その理由として日本でジャスティスというと国家が押し付ける家父長的なイメージがあること、またマジョリティ女性の状況すら悪いことが挙げられた。今後は全体の底上げと格差の縮小に向け、排除の論理に陥らず幅広い運動がリプロダクティブ・ジャスティスを徹底させ、その実現に向けて連携が必要であると述べられた。
4人目の宝月理恵氏からは、日本の近代以降の人口管理に係る政策は一方で人口の再生産を促進すると同時に、他方で不良な子孫や生産力のない国民を排除する二面性を有しており、これらの人口政策はバイオ・ポリティクスの表れと認識しうるという指摘がなされた。そして、プロライフかプロチョイスかという二項対立は、中絶を個人の意識と強固に結びつけて内面的な動機を形成するバイオ・ポリティクスの側面から捉えなおす必要性があるのではないか、また今後どのような教育・啓発を行うべきか、という問題提起がなされた。
質疑応答ではイケモト氏に対し、ドブス判決以前からアメリカの中絶をめぐる状況は悪化していたが、それでも同判決が重要であるのはなぜか、アジア系アメリカ女性の連携における課題や可能性、アメリカにおける配偶者要件について質問がなされた。またイケモト氏から日本における医師の役割について質問があった。日本とアメリカの対比の中で、リプロダクティブ・ジャスティスを考える様々な切り口が提供され、連携して取り組む必要性が再認識されシンポジウムは閉幕となった。
高橋麻美(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)
《イベント詳細》
IGS国際シンポジウム「リプロダクティブ・ジャスティス:妊娠・中絶・再生産をめぐる社会正義を切り開く」
【日時】2022年12月20日(火)16:00-19:15
【会場】オンライン(Zoomウェビナー)と対面(共通講義棟2号館201室)によるハイブリッド方式
【パネリスト報告】
イケモト・リサ・C(カリフォルニア大学教授)
「ロー判決・ドブス判決後の米国におけるリプロダクティブ・ライツ/ジャスティス」
岩本美砂子(元三重大学教授)
「政治右派+宗教右派と反リプロダクティブ・ライツ(日本)」
※登壇予定であったペク・ヨンギョン氏(済州大学校)は欠席となった。
【コメント・討議】
高谷幸(東京大学准教授)
飯野由里子(東京大学大学院特任准教授)
大橋由香子(「SOSHIREN女(わたし)のからだから」メンバー)
宝月理恵(お茶の水女子大学特任講師)
【開会挨拶・趣旨説明】申琪榮(IGS教授)
【モデレーター】本山央子(IGS特任リサーチフェロー)
【主催】お茶の水女子大学 ジェンダー研究所
【共催】お茶の水女子大学 グローバルリーダーシップ研究所
【言語】日英(同時通訳)
【参加者数】306名