IGS通信

国際シンポジウム「哲学者と皇太子妃:冷戦期日本における自由と愛と民主主義」

IGSセミナー(特別招聘教授プロジェクト)
「哲学者と皇太子妃:冷戦期日本における自由と愛と民主主義」

2019年5月19日(日)、お茶の水女子大学にて、国際シンポジウム「哲学者と皇太子妃:冷戦期日本における自由と愛と民主主義」が開催された。本シンポジウムは、ジャン・バーズレイ特別招聘教授の企画によるものである。バーズレイ教授とエモリー大学のジュリア・ブロック准教授が基調報告を担当し、津田塾大学の北村文講師、早稲田大学のゲイ・ローリー教授がコメンテーター、ジェンダー研究所の大橋史恵准教授が司会を務めた。

戦後の新しい民主主義と経済成長は、1950~60年代の日本の若い女性たちに新たな希望をもたらした。当時の新しい女性の生き方のモデルとして注目を浴びた中には、フランス人哲学者のシモーヌ・ド・ボーヴォワールと美智子皇太子妃がいた。女性たちに経済的自立の必要性を説き、結婚という形式に縛られない恋愛を体現したボーヴォワールと、皇太子の妻となり、理想の主婦として家庭を守る美智子妃の姿は、一見正反対のようではあるが、女性たちに、自由と自己探求と愛という「夢」を提供したという点が共通していた。そのイメージの相似と相違について、バーズレイ氏は美智子妃について、ブロック氏はボーヴォワールについて、それぞれ報告した。

バーズレイ氏は、美智子妃が女性たちに与えた夢は、「プリンセスになること」であったと解説した。平民出身の女性が恋愛結婚により皇太子妃になるというのは、戦前ではあり得なかったシンデレラストーリーである。1959年のご成婚は、「プリンセス」が象徴する若さと美しさと華やかさ、そして戦後民主主義の成果の投影であったといえる。そして母となった後も、皇室の慣例から脱し、自ら進んで子育てや家事にいそしんだ。専業主婦として公務に励む皇太子を支える「プリンセス主婦」の姿は、1960年代の戦後家族のモデルとなった。自由と自己探求と愛という「夢」を皇太子妃として実現させた「プリンセス像」を、メディアは熱心に取り上げ称賛し、世の若い女性たちはそれに憧れ、そのような生き方をめざしたのである。

それを良しとしなかった女性たちもいた。ブロック氏は、妻になり母になるという「キャリア」を拒絶する女性たちにとって、ボーヴォワールが『第二の性』で示した、経済的自立と職業的成功から得られる「自由」のビジョンは魅力的であったと説明した。戦後の急速な変化が一段落した1960年代、日本社会も政府も保守化の傾向をみせていた。プリンセス主婦の登場はこれに時期を同じくする。戦後の民主主義改革により男女平等が実現されると信じて育った世代は、目の前に立ちはだかる、「良妻賢母」的「女らしさ」を押しつける慣習の壁にぶつかることになった。実はボーヴォワールも同じような経験をしていたということが、1961年に日本語訳が出版された回想録『娘時代』に記されている。その壁を乗り越えて、経済的にも知性的にも自立した立場を確立したこと、そして、サルトルとの自由な恋愛関係が、ボーヴォワールへの憧れを喚起したのである。

しかしその一方で、その女性解放の議論は「母性」や「女らしさ」の否定であると解釈し、ボーヴォワールを批判するフェミニストも存在した。ボーヴォワールが『第二の性』で「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と強調した点は、現在は、「ジェンダー」として論じられている概念である。しかし、1953年に出版された日本語版の訳出には、この理解が不十分なための誤訳があり、結果として、ジェンダー規範を批判した文章が、女性の身体を否定するような表現に変えられてしまっていた。1986年のボーヴォワールの死に続く再評価、日本における女性学・ジェンダー研究の進展、「決定版」と銘打たれた『第二の性』の新訳本の刊行といった一連の動きのなかで、誤訳に起因する誤解は解消され、日本のフェミニストたちはボーヴォワールの思想を再発見するに至った。21世紀の今も、フェミニスト理論の重要文献としてボーヴォワールの作品は読み継がれ、根強く社会に残る旧来のジェンダー規範に挑もうとする現代女性たちにも勇気を与えているといえる。

コメンテーターの北村氏は、無意識に行ってしまいがちな、「日本人女性」カテゴリーによる一般化の危険性について論じた。美智子妃に憧れた女性たちも、ボーヴォワールを崇拝した女性たちも、「日本人女性」ではあるが、その生き方や考え方は対照的である。さらには、同時代を生きた女性たちのうちには、その2つの「都会の中流階級」グループに含まれない女性たちもいた。農村に目を向ければ、男性と肩を並べて農業に携わりながら、家事や子どもの世話にもっと時間を使いたいと思っている女性たちがいた。いわば、ボーヴォワール流の自立と自由を獲得していながらも、美智子妃流の主婦になりたいと思う女性たちである。「日本人女性」として一括される中には、実は、多様性のみならず、階級構造や権力関係が存在するのだ。ボーヴォワールの哲学が先駆けとなった第2波フェミニズムと呼ばれる運動は、こうした女性の多様性を見過ごしていた。「女性」の定義については、近年のトランスジェンダーをめぐる社会課題への取り組みの中で活発に議論されている。ひとつのカテゴリーを提示する際には、必ず、そこには誰が含まれ、誰が排除されているかの疑問がつきまとう。北村氏自身、「『日本人女性』を語ることはできない」、という点に焦点を当てた研究を進めているとのことである。

これに続くローリー氏のコメントでは、ボーヴォワールが残した言葉の、現代における価値が論じられた。1966年の来日時、日比谷公会堂で行われた講演の題は「女性と知的創造」である。この中でボーヴォワールは、政治、哲学、芸術などのあらゆる分野で、女性が挙げた業績が少ないのは、能力の問題なのではないと説いた。読み書きが良くできた紫式部に対し、父親が、お前が男ならよかったのにと嘆いたことを例にあげ、男児ならば野心を持つように育てられ、女児にはそうした期待がかけられない、といった社会的な原因こそが、女性の職業的な成功を阻んでいると指摘した。このように、知的創造とは、社会的に条件づけられているものであるからこそ、チャンスを得るために戦うことが大切だと、女性たちを鼓舞したのだ。ボーヴォワールが指摘したジェンダーの問題は、今なお挑戦が続けられている社会課題である。そして同時に、ジェンダー以外の要素によるマイノリティ、複数のマイノリティ要素により困難を抱える「インターセクショナリティ」の社会課題なのである。半世紀前になされた自由と自己探求についてのボーヴォワールの提言は、21世紀となった現在の社会課題を考えるうえでも価値の高いものであり、大学教育の場でこれが読み続けられることに大きな意義がある。

質疑応答では、基調講演およびコメントで提示された議論がさらに深められた。実存主義哲学やセクシュアリティ、ジェンダー平等指標などが話題にあげられたが、特に、「翻訳」については、研究者として翻訳に取り組む立場でもある登壇者たちから、様々な発言があった。原文にある含みや文化背景もあわせて他の言語に翻訳することは、実際、難しい作業である。翻訳とは、単なる機械的な言葉の置き換え作業ではなく、翻訳者という媒体を通じた伝達である。そこには必ず、翻訳者の視点というものがあるため、「中立性」についての疑問がつきまとう。こうした異文化の交差における課題は、国際的な調査研究や成果発信をする研究者が、常に心に留め置く必要のある点であろう。冷戦初期の日本のジェンダーの様相というテーマに限らず、参加者にとって学ぶところの多いシンポジウムであった。

記録担当:吉原公美(IGS特任リサーチフェロー)

《開催詳細》
【日時】2019年5月19日(日)13:30~16:30
【会場】国際交流留学生プラザ2階 多目的ホール
【コーディネーター】ジャン・バーズレイ(IGS特別招聘教授/ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
【基調報告】
 ジャン・バーズレイ(IGS特別招聘教授/ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
 「日本におけるボーヴォワール:日本の女性と『第二の性』」
 ジュリア・ブロック(エモリー大学准教授)
 「ロマンスの追憶が映し出す現在:60年後に振り返る1959年皇太子ご成婚」
【ディスカッサント】北村文(津田塾大学講師)、ゲイ・ローリー(早稲田大学教授)
【司会】大橋史恵(IGS准教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】英語(同時通訳)
【参加者数】72名
【開催案内URL】http://www2.igs.ocha.ac.jp/events2019/#2019519