IGS通信

セミナー「クィアする現代日本文学:ケア・動物・語りとジェンダー」

2023.3.20 IGSセミナー「クィアする現代日本文学:ケア・動物・語りとジェンダー」

イベント詳細

 本セミナーでは、2023年1月に刊行された『クィアする現代日本文学—ケア・動物・語り』(青弓社)の著者である武内佳代氏をお招きし、各章ごとの成り立ちや趣旨など概要を語っていただいた。同書では、クィア・フェミニズム批評を中心に、動物やケアなどをめぐる批評理論を横断的に用い、金井美恵子、村上春樹、田辺聖子、松浦理英子、多和田葉子という5人の現代作家の作品が論じられている。これらの作品について批評を試みる際、著者が強く意識したのは「当事者」的な立場をとらないこと、また、作家に関する情報や理論的な枠組みではなく、あくまでも「小説を読む」ことに力点を置くことであると武内氏は述べる。セミナーは、武内氏による報告ののち質疑応答の時間が設けられ、聴衆との意見交換がなされた。
 武内氏はまず、同書を書くことになったきっかけとして、「お茶の水女子大学21世紀COEプログラム「ジェンダー研究のフロンティア(F-GENS)」(2003年~2008年の文部科学省採択事業)との関わりが大きいことをあげる。同プログラムのプロジェクトD(理論構築と文化表象)の研究員をつとめたことで、学内外の研究者の思想的枠組みから大きな刺激を受けることとなり、その際の関心が同書の土台となっていることが改めて確認された。
 それぞれの章は、「クィア批評を多様なかたちで試みる」という問題意識と、「小説を読むことの意味を問う」という問題意識とに貫かれていると武内氏は強調する。第一章では、金井美恵子の「兎」に登場する無性の語り手「私」の様態を、思弁的なクィアネスとして読み込んでいる。この論考を構想中、三島由紀夫文学のレズビアン表象に関する論を執筆するなかで、レズビアン女性についての社会学的調査を考察することと、小説表現としてのレズビアンについて読みとくことの差異を認識することとなったという。女性研究者であっても、小説を読むときには女性であるという当事者性や、父権的で権威的な「男性作家」というバイアスをいったんわきに置き、作品を丹念に読むことの必要性に思い至ったことがあかされた。
 また、社会的に「見えない」ものとしてある非規範的なジェンダー・アイデンティティが書き込まれている小説に関心を向ける武内氏は、一人の読者として「クィアする」という介入を行うことで、そうしたアイデンティティやセクシュアリティをめぐる問題が可視化される批評的読解作業に心惹かれるという。第二章から第四章まで村上春樹の小説作品が扱われるなかで、フェミニズム批評の観点から批判的に読まれてきた『ノルウェイの森』を扱った第二章では、女性たちの同性愛セクシュアリティが前景化されることとなった。第三章では、「レキシントンの幽霊」の登場人物がゲイであることに着目しエイズ文学として読みなおすことで、不可解だった登場人物の孤独の意味に気付くこととなる。「七番目の男」をトラウマ論と男性性研究の観点から読み直した第四章では、明確な描写がないにもかかわらず、性暴力被害を受けた男性の姿が立ち上がってくることになった。
 かつてF-GENSが実施したシンポジウムをきっかけに、障害学やケアの倫理について学び、改めてフェミニズム批評の観点から小説分析に取り組んだことは、第五章の田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」の分析につながっている。さらに松浦理英子の『犬身』が論じられた第六章では、登場人物らに相互依存するケアの倫理の関係をみたうえで、犬と人間との相互依存をクィアな関係として解釈できるとする。第七章では、多和田葉子の『献灯使』における曾祖父と曾孫のジェンダー化されないケアの倫理に基づく関係性を指摘し、障害者的でクィアな曾孫らの身体は、再生産を前提とした異性愛主義的な資本主義の価値観のオルタナティヴを表象するものであるとした。
 武内氏による報告に区切りがつけられたのち、司会の戸谷陽子IGS所長が、1980年代から90年代、エイズ危機渦中のニューヨークでクィアを生きようと試みたアーティストらの状況に言及しつつコメントを述べた。本セミナーには、学生や日本文学研究者のみならず、広く学内外から、ジェンダー問題に関心のある116名以上もの聴衆が参加したことから、報告終了後には、小説と虚構性との関連、動物の観点からの扱いの他、読者同士の読みの営為などに至るまで数多くのコメントや質問が寄せられた。小説テクストを「クィアする」読み解きによって改めてさまざまな可能性が浮かび上がることとなり、なおかつ登壇者である武内氏のクィア/フェミニズム/ジェンダー批評研究者としての立場性に触れる貴重な機会となったと考える。自分なりに小説を読み直してみたいと思う方々には、ぜひ同書を紐解いていただきたい。

 

洲崎圭子(お茶の水女子大学グローバルリーダーシップ研究所研究協力員)


《イベント詳細》
IGSセミナー「クィアする現代日本文学:ケア・動物・語りとジェンダー」

【日時】2023年3月20日(月)14:00~15:30
【会場】オンライン開催(Zoomウェビナー)
【報告者】武内佳代(日本大学文理学部教授)
【司会】戸谷陽子(IGS所長、お茶の水女子大学教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日本語
【参加者数】116名