IGSシンポジウム
「リプロダクティブ・ジャスティスの新たな地平:概念と実践の架橋に向けて」
本研究所で「リプロダクティブ・ジャスティス」をテーマにシンポジウムが開催されるのは、2022年12月開催のIGS国際シンポジウム「リプロダクティブ・ジャスティス:妊娠・中絶・再生産をめぐる社会正義を切り開く」以来、2回目となる。その間、本研究所の申琪榮教授と大学院生らが翻訳を担当した『リプロダクティブ・ジャスティス——交差性から読み解く性と生殖・再生産の歴史』(人文書院)が刊行されるなど、日本社会でもリプロダクティブ・ジャスティスの枠組みが存在感を増しつつある。そのような中でさまざまな分野で活躍する5名の登壇者を招き、上述書籍の監訳者のひとりでもある本学大学院生・高橋麻美氏をコメンテーターとして、オンラインにて180名を超える参加者とともに幅広い議論が進行した。
最初の登壇者である土屋和代氏(東京大学・アメリカ史)からは、リプロダクティブ・ジャスティス運動の第一人者であるロレッタ・J・ロスの議論を手がかりに、リプロダクティブ・ジャスティスの基本理念とその歴史的背景の紹介が行われた。リプロダクティブ・ジャスティスとは「性と生殖をめぐる権利(リプロダクティブ・ライツ)」に「社会正義(ソーシャル・ジャスティス)」を重ね合わせた運動と思想で、中絶権といった子どもを持たない権利だけでなく子どもを持つ権利、そして安全で健康な環境で子どもを育てる権利も追求するものである。ロスらは中絶賛成/反対(プロチョイスかプロライフか)という二項対立を乗り越え、「人権」の枠組みをもとにリプロダクティブ・ジャスティスという思想を作り上げたということだ。福祉が切り捨てられ、性と生殖に関する健康と権利(SRHR)が攻撃される現在において、リプロダクティブ・ジャスティスの思想の意義が強調された。
次に飯田祐子氏(名古屋大学・日本文学)から、「再生産ナラティブ」をキーワードに文学の領域からリプロダクティブ・ジャスティスを考えていく視座が提示された。ナラティブとは社会と個人の規範・欲望・情動を形成する語りで、再生産ナラティブは再生産のうち特に生殖(妊娠・出産・育児)に関わるものとなる。再生産ナラティブに相当する文学作品がいくつか挙げられたのち、リプロダクティブ・ジャスティスが要求する三つの権利への応答として作品を読んでいく視点が示された。特に子どもを産む権利については市川沙央『ハンチバック』(文藝春秋)が、また子どもを産む権利・安全で健康な環境で子どもを育てる権利については1920〜30年代のプロレタリア女性文学が、例として挙げられた。
3人目として澤田佳世氏(フェリス女学院大学・人口学)からは、澤田氏がフィールドとする沖縄における出生力を題材に、リプロダクティブ・ジャスティスについて思考を深めていく視点が提示された。リプロダクティブ・ジャスティスの基礎概念として、インターセクショナリティ(交差性)があるが、その観点から考えると日本における人種・民族的マイノリティとして沖縄の人びとがいる。「日本一高い」出生率には、沖縄をめぐる国際関係と米軍統治下の優生保護法なき中絶や避妊、性と生殖の固有の戦後史、男系継承主義をとる家族形成規範などが影響し、その地続きに男性稼ぎ主型ではない家族、若年妊娠・出産、国際結婚など沖縄に特徴的な人口・家族の諸相があることが説明された。周縁化されてきた女性の意志と経験を分析の中心に置き、その主体的意味づけのもと出生力を見ることの重要性が示された。
4人目の田中雅子氏(上智大学・開発学)は、孤立出産したベトナム人技能実習生グエットさんの無罪を求める裁判を「リプロダクティブ・ジャスティス裁判」と位置付けて支援していることから、その事例を引きながら移民女性の性と生殖・再生産をめぐる状況を概観した。移民女性にとってのリプロダクティブ・ジャスティスの課題としては、「妊娠したら帰国、または退職・退学」と来日前から警告されており、実際に途中帰国させられる場合がある(子どもを持つ権利の侵害)、出身国では利用できる避妊・中絶方法が日本では利用できない(子どもを持たない権利の侵害)、家族帯同に制限がある在留資格や産休育休・子育て支援制度へのアクセスの悪さ(安全で健康な環境で子どもを育てる権利の侵害)が挙げられた。それらの権利を保障すべき国家の役割が、法令遵守の呼びかけなど消極的義務(差別や不当な介入をしない)にとどまっており、積極的義務(権利を行使できるよう制度などを整備する)を果たしていないため、リプロダクティブ・ジャスティスが実現していないことを述べた。
登壇者としては最後となる草野洋美氏(公益財団法人ジョイセフ(Japanese Organization for International Cooperation in Family Planning、JOICFP、国際協力NGO))は、性と生殖に関する健康と権利を求める実践として、国連の人権に関する調整機関を活用した市民社会の取り組みを紹介した。一つの例としては、2024年10月に草野氏が所属するジョイセフをはじめ7団体が女性差別撤廃委員会へ「日本におけるSRHR課題に関する市民社会レポート」を提出、緊急避妊薬を含む避妊薬(具)や安全な中絶へのアクセス、優生保護法下の強制不妊手術被害者への謝罪及び補償、性的指向・性自認・性表現に基づく差別の禁止、刑法の性犯罪に関する事項の改正、学校教育における性教育の推進を課題として提示したことが説明された。これらの課題に対して女性差別撤廃委員会から日本政府への勧告が出されたが、政府は応じていないとのことであった。またジョイセフを含む13の市民団体による「SRHR for ALLアクション!」のスタンディングアクションやメディアへ向けた勉強会といった活動も紹介された。
コメンテーターの高橋麻美氏(お茶の水女子大学博士後期課程、国立社会保障・人口問題研究所)からは、まずリプロダクティブ・ジャスティスの主要な構成要素が確認され、概念と実践の架橋に向けていかにリプロダクティブ・ジャスティスを日本の文脈に「翻訳」できるかという観点からコメントが行われた。具体的には、土屋報告に対しては再生産の歴史を再解釈する力と日本における可能性、アメリカにおけるリプロダクティブ・ジャスティスの展開、飯田報告に対しては性や生殖・再生産に関わる「語りにくさ」との向き合い方、そしてフェミニスト文学批判にリプロダクティブ・ジャスティスの視点を導入することへの意義が問われた。澤田報告に対しては、沖縄から国内/アジアを視野に入れた生殖のパワーポリティクスの様相や、少子化対策・人口学に対するリプロダクティブ・ジャスティスの意義について、田中報告に対しては裁判を切り口にリプロダクティブ・ジャスティスに取り組む意義と課題、移民女性のリプロダクティブ・ジャスティスの問題を横断的に取り組む戦略についての問いが提示された。草野報告に対してはリプロダクティブ・ジャスティスと言語の政治という観点から、さまざまなジェンダー・アイデンティティの人びとの多様な経験を反映するための言語やフレーミングの戦略について質問が行われた。
高橋氏の問いに対しては登壇者が1人ずつリプライを行って、それぞれの報告を補完し議論を深めていった。参加者からも複数の質問が出されるなど、リプロダクティブ・ジャスティスをめぐる課題と実践への関心の高さがうかがわれる中で閉会となった。
大室恵美(お茶の水女子大学博士後期課程ジェンダー学際研究専攻)
《イベント詳細》
IGSシンポジウム
「リプロダクティブ・ジャスティスの新たな地平:概念と実践の架橋に向けて」
【日時】2026年2月20日(金)15:00-18:00
【会場】オンライン(Zoomウェビナー)
【登壇者】
土屋和代(東京大学教授)
飯田祐子(名古屋大学教授)
澤田佳世(フェリス女学院大学教授)
田中雅子(上智大学教授)
草野洋美(公益財団法人ジョイセフ シニア・アドボカシー・オフィサー)
【モデレーター】
申琪榮(お茶の水女子大学ジェンダー研究所教授)
【コメンテーター】
高橋麻美(お茶の水女子大学大学院博士後期課程/国立社会保障・人口問題研究所)
【司会】
大橋史恵(お茶の水女子大学ジェンダー研究所准教授)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日本語
【参加者数】184名
