IGSセミナー「フェミニスト・ポリティカル・エコノミーの挑戦」

IGSセミナー
「フェミニスト・ポリティカル・エコノミーの挑戦」

 冒頭の趣旨説明では、『フェミニスト政治経済学』の編者である大橋史恵氏より、フェミニスト政治経済学(以下、FPE)の要諦が解説された。FPEはフェミニスト経済学(以下、FE)とともに生まれ、第二波フェミニズム、とりわけマルクス主義フェミニズムを経て理論的・実践的な問い直しや討議の下で鍛えられてきた、フェミニスト社会科学のアプローチである。とくに市場を中心に経済を理解する古典派経済学の視点から脱却し、人間のニーズとウェルビーイングのための経済を再構想することを目的とする。

 これを受けてセミナー前半では、報告者の青山薫氏、岩島史氏、小野寺研太氏による論評が行われ、執筆者らへのコメント・質問がなされた。セックスワーク論や移民研究を専門とする青山氏は、本書における主流派経済学や国際政治への批判的視座を評価したうえで、欲望はどこに位置づくのかという問いを提起した。資本主義は欲望にも支えられていること、労働を身体やセクシュアリティとの結びつきにおいて中心化すること等も併せて指摘した。次に農村社会学が専門の岩島氏は、農・自然・女性という視点から、1900年代初期以降の日本農村の社会的再生産の枯渇や、現代日本農業と資本主義システムの相互依存的な関係を提起した。また本書が「社会的再生産」をめぐるフェミニスト社会科学の学説史をおさえつつも、英語圏で刊行された『Feminist Political Economy』 (Cantillon et. al., Columbia University Press, 2023)とは異なる独自の理論形成を行っている点を指摘した。思想史を専門とする小野寺氏は、フェミニスト・スタンドポイント理論(FST)の視点からFPE研究がもたらすものとして、証言者のエージェンシー強化と研究者自身のエージェンシー強化を指摘した。そのうえでFPE研究がSIMs(Scientific/Intellectual Movements: 科学的/知的運動)として機能していると評価した。そしてミクロな抵抗をマクロな制度改革につなげる回路をFPEはどのように考えるのか、という提起をした。

 セミナー後半では、本書執筆者全10名(大橋氏、堀芳枝氏、板井広明氏、伊田久美子氏、平野恵子氏、足立眞理子氏、本山央子氏、マイルズ・キャロル氏、藤原千沙氏、徐阿貴氏)による報告者への応答がなされた。非常に多方面に渡る有意義な議論が提起されたが、紙幅の関係でここではいくつかのみ取り上げる。伊田氏は青山氏からのコメントにあった「欲望」について、欲望というもの自体が近代的に作られたものであり、資本主義の原動力として作り出されてきたため、欲望自体の歴史化・相対化が必要だと指摘した。商品が次々と作り出されていくことが資本主義にとって必要であり、その過程で欲望が作り出されていることに自覚的であるべきだという。さらに、労働・性・身体の一体化については、規範が欲望やセクシュアリティを形作り身体観までも構築するものであることをふまえ、フェミニストの運動がそこからの解放を目指してきたとコメントした。足立氏は自身が数年ぶりに対面でセミナーに登壇したことに触れ、対面で会うことは小野寺氏が指摘したような集合性を形成しうる可能性を開くのではないかと話した。また同著内で執筆を担当した第8章に関連し、構築された際限なき欲望の現代的な形態が金融化であるとした。金融化は経済的な意味だけでなく、政治的な統治の手法として新たにジェンダー化された主体の在り方を作りだすものとして機能している。同氏は、商品を購入する際に貯まるポイントを活用し、家計を節約する「ポイ活」も無意識の統治として例示した。私たちはこのような金融化に対してより敏感になり、従順なジェンダー化された主体に完成されないことが重要だと指摘した。藤原千沙氏は小野寺氏からの質問に応答する形で、同著内で取り上げた、コロナ禍におけるシングルマザー当事者へのアンケート調査に触れた。マクロな構造や制度だけを批判するのではなく、ミクロな抵抗を見たうえで構造に戻っていくことが必要ではないかと提起し、FPEの視点は言葉を制度的に翻訳するような回路をつくる学問ではないのかと指摘した。

 セミナーの最後には質疑応答が予定されていたが、時間的制約により、「ミクロな抵抗と異議申し立てについて、実務家とアカデミアとの関係性や連携、必要性についてどう考えるか」という旨の質問1点のみが取り上げられた。執筆者による応答を踏まえて再びコメントした小野寺氏は、広く言説転換が必要であるが、第一波/第二波フェミニズムの遺産をどのように引き継ぐか、実践を試みた多くの先人の歴史から学び、目の前の問題と真摯に向き合うことが必要だとした。

 本セミナーは日本のFE/FPE研究を先導する研究者が一堂に会した貴重な機会であり、Zoomウェビナーの参加者は150人を超えていた。執筆者と報告者が多様な学問分野を背景としているように、FPEの視点はどの学問・領域にも援用可能である。本書の刊行を端緒に、日本でもFPEの視点がますます普及し、研究も発展していくことが期待される。

髙橋奏音(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ジェンダー学際研究専攻)


《イベント詳細》
IGSセミナー
「フェミニスト・ポリティカル・エコノミーの挑戦」

【日時】2026年6月21日(日)13:30-16:30
【会場】オンライン(Zoomウェビナー)
【報告者】
 青山薫(神戸大学 教授)
 岩島史(京都大学 講師)
 小野寺研太(日本女子大学 准教授)
【応答者】
 大橋史恵(お茶の水女子大学ジェンダー研究所 准教授)
 堀芳枝(早稲田大学 教授)
 板井広明(専修大学 教授)
 伊田久美子(大阪公立大学 客員研究員、名誉教授)
 平野恵子(横浜国立大学 准教授)
 足立眞理子(お茶の水女子大学ジェンダー研究所 客員研究員、名誉教授)
 本山央子(お茶の水女子大学ジェンダー研究所 特任リサーチフェロー)
 マイルズ・キャロル(お茶の水女子大学 准教授)
 藤原千沙(法政大学 教授)
 徐阿貴(福岡女子大学 教授)
【趣旨説明】
 大橋史恵(お茶の水女子大学ジェンダー研究所 准教授)
【司会】
 嶽本新奈(お茶の水女子大学ジェンダー研究所 特任講師)
【主催】お茶の水女子大学ジェンダー研究所
【言語】日本語
【参加者数】178名