IGS通信

国際シンポジウム「踊る中国」

国際シンポジウム報告「踊る中国:都市空間における身体とジェンダー」(中国女性史研究会共催)

2019年6月22日、国際シンポジウム「踊る中国:都市空間における身体とジェンダー」が開催された。19世紀末から中国の⼥性たちは、伝統的な風習であった纏足を解き、都市空間に活動の場を広げていった。このような⼥性の⾝体活動の大きな変化を象徴する「踊る」行為に着目し、「踊る」⼥性たちを通して見えてくるものは何か、⾝体とジェンダーの視点から読み解くことが、本シンポジウムの目的である。

大橋史恵IGS准教授の司会によるシンポジウムの進行は、中国女性史研究会の前山加奈子氏による趣旨説明に続き、「近代中国における⼥子体操」(游鑑明氏)、「1920−30年代上海ガールズ・ショー・ビジネスの隆盛と衰退」(星野幸代氏)、「移動、越境する社交ダンス:上海租界から北京中南海へ」(大濱慶子氏)という3つの研究報告。それぞれの研究報告に対し、ジャン・バーズレイ氏、江上幸子氏がコメントを述べた後、聴衆を交えての質疑応答となった。

報告に先立ち、前山氏は趣旨説明の中で先行研究の少ない分野での三報告の貴重さに言及し、また予備知識として中国の慣習であった纏足について紹介した。纏足は前近代において中・上層クラスの⼥性に求められたジェンダー的な⾝体(静的な肢体、嬌羞する姿態)の中国における表れである。発育の不健全な活動に適さない肢体と貞節を守る⼥性を理想とする社会見識が、⼥性の動的行為を抑制したとの説明がなされた。纏足からの解放が踊る⾝体への第一歩であった。

游氏の報告は多数の貴重な写真や挿絵を使用し、学校教育が導入した⼥子体操がどのように中国⼥性の⾝体文化を変化させたかを明らかにした。星野氏の報告は黎錦暉が主宰したガールズ・ショー・カンパニー、明月歌舞団の盛衰とそこで養成され、後に映画⼥優に転⾝した王人美、黎莉莉の動向を追うことで、国語教育とショー・ビジネスとの結びつき及び踊ることによって生じた⼥性⾝体のジェンダー化について述べた。大濱氏の報告は20世紀初頭にグローバルな航程を辿ってアジアに移入した社交ダンスが中国及び日本でどのように受容され、現地化し、発展を遂げたかを紹介した。

游報告によると、入学後、規則によって纏足を解いた⼥子生徒に対して、体操は楽しみながら行う遊戯から誘導的、漸進的に導入された。⻄洋諸国や日本に倣った体操科目の内容は、主に踊りながら歌う行進遊戯、舞踊、徒手体操、器械体操であったが、時代の要請から「尚武」精神を鼓舞する体操を取り入れる学校もあった。⼥子体操を通じて彼⼥たちは⾝体能力を向上させ、⾝体を躍動させたが、兵式体操の一糸乱れぬ動作からはナショナリズムのもとで統制される⾝体という問題が、体操服からは見られる⼥性⾝体というジェンダーの問題が透けて見える。

游報告に対して、バーズレイ氏のコメントは体操とダンスという視点から故郷南カリフォルニアの町の歴史を見直し、冷戦下の危機の時代に学校で軍事訓練を模倣した体操が導入されたこと、中学・高校のマーチング・チームは軍隊を模倣した行進を行いながら、⼥性らしさを強調した衣装で男子を応援することが求められたことを体験に基づいて紹介した。また欧米やアジアの⼥子生徒が複製されたように同期して動く写真からはテイラー主義の科学的管理 連想されると指摘した。楽しみながら健全な⾝体を育成することを目的とした体操やダンスが、近代国家によって⼥性の⾝体を効率的に管理し、求められる⼥性⾝体のあり方を浸透させ、国家の利益を増大させるために使用された可能性を示唆した。

星野報告によると、1920−30年代に人気を博した明月歌舞団は、標準語の普及を図る国語教育者であった黎錦暉が、人格育成上の体育の重要性を主張する蔡元培の教育思想に触れ、歌と踊りで国語を習得させる方法を考案し、少⼥たちを歌って踊れて標準語で話せる人材に育てて巡業を行ったものである。学校の体育で初めて⻄洋舞踊に出会った少⼥たちは、体育を重視する国語教育者から一時興行師になった黎錦暉によって、後の映画⼥優への道を開かれた。人気⼥優になった王人美や黎莉莉は、鍛えられた健全で美しい肢体でメディアに登場することになるが、それは男性視線のもとで⼥性⾝体が鑑賞、消費されたという意味でジェンダー化されたと言える。その一方で彼⼥たちは表現の主体者となり、人気⼥優の名声と地位を手に入れた。星野氏はこの構造を「一種の共犯関係?」と述べた。

コメントの中で、バーズレイ氏は星野報告に関連して、露出した⼥性の⾝体が露出した男性の⾝体にはない方法で批判されることには、モダニティの言説が持つ構造的な問題が潜んでいると指摘した。その言説は、男性は行動するものであり、⼥性は表象するものであるとする。思考し、理性的に行動する男性は公共空間を支配する。しかし⼥性は感情や肉体に結びつけられ、男性と同じように公共空間を統率する権威を持たない。そのため、踊る⼥性の⾝体はやはり他者に操作される象徴となる。バーズレイ氏は「踊る⼥性は現代的ではないのかもしれない」という疑問を投げかけた。

大濱報告は、中国固有の歴史や政治的・社会的情勢及びジェンダー・セクシュアリティ文化の変容によって中国の社交ダンスが遂げた発展と再生を紹介した。アヘン戦争後(1850年代)、開港場に移住した⻄洋⼈のための娯楽であった社交ダンスは、20世紀初頭の近代女子教育による女性の纏足からの解放を経て、五四運動(1919)の⾃由恋愛⾔説等の影響を受け発展期を迎えた。南京国⺠政府の樹⽴(1927)、⺠族資本の成⻑によって急速に都市化した1930年代の上海において、社交ダンスは様々な⼈々の情念や欲望を呑み込んで隆盛を極めた。この間、社交ダンスの享受者は外交官や将校の家族、外国商⼈から中国⼈上流階級、都市中流階層の男性へと拡大、変化し、東洋⼈の⾝体を⻄洋式に改造してハイヒールとチャイナドレスを⾝に着けたダンサーの⾝体は新しい表象になり、商品化、客体化、序列化された。中華⼈⺠共和国建国(1949)後、社会主義的改造のもとでダンスホールは廃業、ダンサーには転職や⾃活が促されたが、社交ダンス⾃体は新社会・新生活における勤労者の文化的娯楽として推奨され、再生を遂げた。

江上氏はコメントの中で、まず「踊る」女性⾝体が社会や国家から何を求められたのかを見ることで、近代中国の社会とその変化に対する理解を深めることができるのではないかとし、本来は⾝体を使って個⼈の内面を表現する「踊る」という行為が、国家のプロパガンダや、ナショナリズムの鼓舞や、抵抗のシンボルとして利⽤されることもあると述べた。その上で、大濱報告の中華⺠国期の国際都市上海の社交ダンスとダンサーに関連して、日本と中国の文学作品に描かれたダンサー表象を紹介した。江上氏は、ダンサーの⾝体や愛が、横光利一の『上海』や曹禺の『日の出』では、国際資本や中国国内資本、或いは社会変革者による争奪戦の対象や、彼らの力の争奪戦を反映するものになっていること、中国新感覚派小説では、ジェンダー支配の争奪戦を象徴するものになっていることを指摘した。

質疑応答では以下のような問題について議論が為された。中国における社交ダンスの包括性(⺠族的・性的少数派、体の不⾃由な⼈等々をどこまで取り込んで発展する可能性があるか)。延安でのダンス・パーティの流行は、純粋にダンスの楽しさを知ったからというよりも、それは禁欲や貧窮の代償、不満解消を目的としたものだったのではないか。中華⼈⺠共和国建国後、党幹部がダンスの相⼿に指名する女性は多くが容姿端麗で、ダンスの相⼿に指名することは、往々にして性的交渉を求めることであったとされる。文革を描いた映画「⻘い凧」にもそのような場面が出てくる。社交ダンスには社会主義下の娯楽文化、男女が対等な関係で向き合うものという以外に、別の意味があるのではないか。

本シンポジウムは中国近代史を理解するための新しい視点―「踊る」という行為―を提起した。この視点を通じて近代中国を見ると「踊る」女性⾝体によって生じたジェンダー構造の変化や「踊る」女性⾝体が反映する時代や社会の変化を知ることができると同時に、「踊る」女性⾝体が社会的・文化的に形成された性差別から解放されることの困難さを知ることにもなる。

記録担当:石井洋美(お茶の水女子大学比較社会文化学専攻博士後期課程)

《イベント詳細》
国際シンポジウム「踊る中国:都市空間における身体とジェンダー」

【日時】2019年6月22日(土)13:00〜17:00
【会場】本館306教室
【コーディネーター/司会】大橋史恵(IGS准教授)
【趣旨説明】前山加奈子(中国⼥性史研究会)
【研究報告】
游鑑明(中央研究院近代史研究所)「近代中国における⼥子体操」
星野幸代(名古屋大学人文学研究科教授)「1920−30年代上海ガールズ・ショー・ビジネスの隆盛と衰退」
大濱慶子(神⼾学院大学グローバル・コミュニケーション学部教授)「移動、越境する社交ダンス:上海租界から北京中南海へ」
【コメンテーター】
ジャン・バーズレイ(IGS特別招聘教授/ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授)
江上幸子(中国⼥性史研究会/フェリス⼥学院大学国際交流学部名誉教授)
【共催】ジェンダー研究所、中国⼥性史研究会(日本)
【言語】日中(逐次通訳)
【参加者数】67名