IGS通信

セミナー「『ルッキズム』:女性美をめぐる理論と表象から」

イベント詳細

2022.03.22 「『ルッキズム』:女性美をめぐる理論と表象から」

2022年3月22日(火)、IGSセミナー「『ルッキズム』:女性美をめぐる理論と表象から」がオンライン開催された。ルッキズム(外見に基づく差別)は比較的最近になって用いられるようになったタームおよび概念であるが、女性の美の理想やそれを操作・管理・獲得するための実践については、ジェンダー規範・構造の観点から、長く議論の対象とされてきた。本セミナーでは、英美由紀氏(藤女子大学教授)が、この言葉が使われることになった経緯を含め文学・文化表象の観点から、主に女性の外見や美容行為に論点を絞り、議論の経緯や理論枠組の変化、実際の例を分析しつつ報告した。

ルッキズムは1970年代終わりに、肥満体形の人々が使い出した造語で、人種差別と同様の陰険な差別として認識された。100年のフェミニズムの流れで、女性たちは美を求めながらも、それを拒絶する動きを見せてきた。それは、画一的な美意識を掲げる美容産業への懐疑や、社会から求められる美の規範からの離脱に繋がる。1960年代の第二派フェミニズム以降に、「個人的なことは政治的なこと」のスローガンのもと、女性の身体を含む私的領域が焦点化されたことで、女性の規範的な美や美容行為が議論されるようになった。こうして女性の身体が、家父長制を理論基盤にしながら、男性権力が設定した美の基準によって操作、抑圧されてきたことが批判されるようになり、美容行為も抑圧システムとして理解された。

しかしその後、女性の美意識は、男性権力による直接的抑圧とは異なり、女性自身の日常的な言説実践によって身体に作用する、女性と美意識規範の双方向の共謀関係の構図をなしているという説も生まれる。美容行為は、規範的身体を(再)生産する権力作用と意味付けられ、男性から強制されているというよりもむしろ、女性自身が規範を永続化し、その流れに身を投じる共謀的存在になったという。

それと並行して、1990年代初頭から、西欧中心の表層的運動に終始したポスト・フェミニズムを否定する、第三派フェミニズムが台頭する。女性の美を力であるととらえる点に特徴がある。女性が自身を犠牲者だと定義する「犠牲者・フェミニズム」から「力・フェミニズム」への転換がなされた。

文学における女性と外見的な美については、男性主人公の資質が個性であるのに対し、女性主人公は美が求められる傾向にあると、当初から指摘されてきた。しかし、女性作家が、美しくはないが生き生きとしたヒロインを描くこともある。例えば、C・ブロンテ『ジェイン・エア』(1847)やG・エリオット『ミドルマーチ』(1871)では、その魅力が外見ではなく人間性にある女性主人公が描かれる。当時の書評で、女性主人公の外見を魅力に欠けるものとすべきではない、という批判がなされたという事実は、当時いかに外見の美しさが不可欠な要素とされていたかを逆説的に示すものであると言える。

20世紀半ば以降は、女性主人公の外見が自己イメージや異性関係に影響を及ぼす様子が描かれる。外見に外科的に介入する例も増えたが、同時に女性の美容行為は虚飾と捉えられ、女性美や若さなどのジェンダー規範を押し付けられながらも、それを追求することは断罪される節がある。

それに対し、アイラ・レヴィン『ステップフォードの妻たち』(1972)では、美しく従順な妻たちに疑問を持っていた女性主人公が、結局彼女たちと同様にロボット化される過程を描く。女性とその身体の抑圧の原因が男性基盤社会の権力構造にあること、そして女性がそこから逃れるすべを持たず、画一的な美を体現することにおいて、彼女は抑圧モデルにおける典型例である。

フェイ・ウェルドン『魔女と呼ばれて』(1983)では、主体的に美容行為を行う主婦が描かれる。社会規範を変えられないから自分を変えるという彼女の行為は、自ら人生を切り拓くという意味で主体的なエンパワーメントであるとする意見がある一方で、社会規範が求める通りの「美」の実現を強いる社会の抑圧の犠牲者であり、主体的な選択とは言えないという見方も存在する。

ポスト・フェミニズムで取り上げられる、独身女性の仕事と恋愛を描く「チック・リット」というジャンルは、性的魅力をアイデンティティやパワーとして示すも、結局社会規範から抜け出せていないという見方もある。

近年では、商業主義の搾取の対象としての身体を描く作品の中で、女性たちが心を通わせる展開になることもある。自身の身体を管理し、改造してきた女性が、美の規範を認識しつつも、欺き、その行為を読者と共有する側面もある。フェミニスト間で、美への関心が復活している近年。文学や映画における美の表象を、今後も観察する必要がある。

質疑応答では、男女共に自分のためと謳う美容脱毛が勧められる状況や、骨格診断やパーソナルカラー診断など、互いに優劣関係のない美の基準が再編成されつつある状況への言及があった。それに対し、自分のためと言いながら、あくまで社会規範に合致する自分でいたいという矛盾があることを英氏は指摘する。社会的連携が希薄な時代に、自己管理や自助が必要になるという文脈で理解されるという。また、日本では、ルッキズムが女性の美に限定して使用される傾向にあるが、男性や身体障碍者、事故や病気の結果による身体部位の欠損等、外見を規範的な美の概念からはずれるとして排除する傾向にあるルッキズムにも意識を向ける必要があるのではないかという指摘もなされた。

第二波フェミニズム以降、常に議論の俎上に挙げられてきた女性の身体や外見の問題は、時に行き詰まりを見せつつも、依然としてフェミニズムの中心的課題であり、「美の規範による抑圧vs.歓びや戯れ、女性のエイジェンシーvs.文化の支配、美容産業の複合体への揺るぎない懐疑vs.それに抵抗する女性の能力への期待」(Elias, Gill and Scharff 5)であり続ける。

記録担当:海老鴻子(お茶の水女子大学大学院博士前期課程)

《イベント詳細》
IGSセミナー「『ルッキズム』:女性美をめぐる理論と表象から」

【日時】2022年3月22日(火)10:00-11:30
【会場】オンライン(Zoomウェビナー)
【報告】英美由紀(藤女子大学教授)
【司会】戸谷陽子(IGS)
【主催】ジェンダー研究所
【言語】日本語
【参加者数】66名